ある意味でぼくは絵を描いていない。
色を塗っているだけだ。絵を描くという事は色を塗ることとは少しは違うはずだ。何が違うんだろう。二色以上の色を使うと絵だろうか。塗るとは一色だけのことだろうか。だとしたら描くというのは塗るが繰り返されることだろうか。違う。一色でも絵を描ける。色がなくても絵の具がなくても絵は描ける。ぼくは一色でもいい。色を塗っていたい。できれば女の裸を描写していたい。例えば数字で言うと6。
2012年7月24日火曜日
2012年7月22日日曜日
高瀬きぼりおの論理哲学宗教日記
やろうとおもうとできないから、やらないとおもうんだけど、それだとやらないからできない。
やろうともやらないともおもわなくなったときにできるのかもしれないけどそういう状態ってじぶんでつくれるんだろうか。
なんかきゅうにできたりするから、これはじぶんの努力じゃないとおもう。なんかの運か自覚のない才能か。きわめて特殊な才能に自分の生活が依存しているのがこわい、とウィトゲンシュタインの日記にあった。ぼくはまだ依存してないけど、そうなった時どういう考えで乗り越えたらいいんだろうか。よくわからないけど、ぼくなりにいっしょうけんめいやらないことをやるっていうことをやろうともやらないともおもわずにできるようになることをがんばりようがないけどがんばるふりだけする?それもなんか変だ。まあ、よくわからんから正直でいよう。
2012年7月17日火曜日
読書感想文 ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記
ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記を読んだ。
夢の話しがおもしろかった。
お金持ちのお家にうまれてもそれとは関係なくひどく悩んだりするんだなあとおもった。
生活が自分の特殊能力に依存している人の悩みが興味深いけれど、よくわからなかった。
こんな人でも恋をするんだなあとおもった。
こんな人でも作曲ができることへの強い憧れがあるんだなあとおもった。
すっごくあたまがいいんだろうけど、意外と近くに感じた。
すっごくあたまが良くてお金持ちのお家に生まれても不幸なんだなとおもった。
今のぼくはこの人よりも幸せだ。でもあたまが良いのはうらやましい。日記でも知性的だった。ぼくのぶろぐの日本語がひどいことを思い出された。
子供の頃おなじクラスにいたら友だちになっただろうか。わからない。
2012年7月16日月曜日
おれなりの絵の描き方詳しくおしえます
絵の具を筆とか刷毛(はけ)に付けてキャンバスにこすり移します。
たまにペインティングナイフでガリガリ削ります。
いい感じになるまで繰り返します。
スケッチ大会やりたい。
2012年7月9日月曜日
えのぐ
展示がおわったから木枠からキャンバスを剥がしてみた。記念に一個だけ貼りっぱなしにしとくかな。
そして好きかってに絵の具と刷毛と戯れるかなと思ってる。そう、おれは今それをやりたい。絵の具とたわむれたい。
絵の具と戯れた結果が、既存のカテゴリーにハマるのかもしれない。でもカテゴリの名前に興味はない。友人の画家がよく、アートとはうんたらかんたら言ってるけど、それはその人の思うアートとはこういうものっていう事であってそこからずれたものがアートとして認知されてることが嫌なんだそうだ。つまり友人は社会にそれはアートじゃないぞーって言いたいんだろうか。くだらねえ。言葉言葉ことばことばことばことばことばことば。
言葉。ことばことばことば。
ことばことばことばことばことばことば。
2012年6月23日土曜日
毎週金曜日
毎週金曜日18時から20時に、首相官邸前で原発に反対するデモをやってるみたいなので行ってきた。
国会議事堂前駅3番出口すぐ。
人がいっぱいいて目が回ったけど久しぶりの友人に会えた。ようすけはこういうところに居そうだなと思っていたら居た。
原発賛成の人も少しだけいた。
ぼくは原発のことやそれに関する政治のことはよくわからないけれど、廃棄物は溜まっていくだけで処分できないし、流出するとその近くには人が永久に住めなくなることは知ってる。