たのしい。
読んでると立ち飲みたくなる。
行った事ある店や行ってみたい店の事が魅力的に書いてある。
でも情報がちょっと古いのでお店の情報集めという目的ではよくないかもしれない。
でも立ち飲みたくなる。
たのしい。
2015年2月9日月曜日
読書感想文 立ち飲み屋/立ち飲み研究会
読書感想文 スローターハウス5/カート・ヴォネガット・ジュニア
映画が名作なので読んでみた。
おもしろくなかった。
ぼくが知ってる知識を、自慢げにしかもちょっと間違って話してくる人と接した時みたいな小説。どうしてこんなことで自慢できるんだろうと驚いて何も言えずにいるぼく。かまわずにまくしたてる彼。みたいな感じ。
映画の方が良いという稀な例。
映画は小説のつまらない部分を捨てて残った部分を映像にした感じだった。言葉が少なくて観やすい。こんな酷い小説から、あの映画をつくったということがおもしろい。
2015年2月4日水曜日
映画感想文 アンチヴァイラル/ブランドン・クローネンバーグ
デイヴィドクローネンバーグの息子が監督ということでわくわくしてみた。
とうちゃんが有名人だとむすこは似て及ばないことをよくみかけるけど、この映画はすばらしい。似ているけどぜんぜんちがう質感。潔癖性な白い映画。デイヴィド・クローネンバーグのファンも納得するとおもう。
2015年1月5日月曜日
映画感想文 惑星ソラリス
ずいぶんまえに見た映画だけど名作なので記録しとく。
タイトルからして「不思議惑星キンザザ」(名作)と混同されがちだけどぜんぜん関係ない別の映画。
恋人のクローンを登場させてアイデンティティについて問うてくる映画。見たときぼくは新鮮に感じた。二人称や三人称での個の特定問題を通じて、ヴィトゲンシュタインや永井均が考察した一人称<私>の問いを感じることができる。
映像がむだに長いけど、ゆるぎない名作。
2015年1月4日日曜日
映画感想文 ゴーンガール( gone girl )
すごかった。嫁殺し容疑の男の話し。
全編にわたって女という性に対する恐怖が漂ってる。きっと原作者は女にひどい目にあわされてばかりなんだと思う。ぼくの嫁はしまやんでよかった。
けれどもこの映画の中の女に共感する部分もある。
完全にひきこまれた。おもしろかった。
風邪をひいて熱が38度ある状態で見た。もう一度見ようとはおもわない。
追記:そういえば同じ監督のドラゴンなんとかっていう映画も以前みた。それもだけど登場人物の出生地とかそういう匂いがずっとある。それは英語の訛りや人物の名前にも漂っていて、全体の雰囲気に底の方から影響してるように思った。あと発話が聞き取りやすい。発音が聞き取りやすいのは音質がハイファイな上に、スラングやきたない言葉がほとんど出て来ないからだった。上品でありながらその上品さが冷徹さや阻害感をじょうずに演出しているなとおもった。
2015年1月3日土曜日
映画感想文 オートマタ(AUTOMATA)
おもしろかった。特に新しさや発見はないけど普通におもしろくてスカッとする系。
ロボットを登場させて意識についての考察を少しだけ提示してくるけど、もっと哲学的な示唆を盛り込んで欲しくてもやもやするので最後まで惹き付けられる。
2015年1月2日金曜日
映画感想文 スローターハウス5/ジョージ・ロイ・ヒル
タイトルからシリーズもののホラー映画だと思えるけどぜんぜん違う。第五屠殺場という意味のタイトル。映画の中ではドイツ語で発音する。
第五屠殺場はドイツのドレスデンにある捕虜収容所。第二次世界大戦の終わり頃。
ドレスデンの第五屠殺場に収容されたアメリカ人視点で物語が展開するが、彼は自分のことならどの時間のことも知ってるしいつのことでも経験できる。だから自分の過去にも未来にも行ける。なので舞台や時代はいろいろすっとんでる。
不思議惑星キンザザがシリアスになった感じ。つまり名作。
ヒーローはいない。現実的に展開する。
2014年12月30日火曜日
2014年11月30日日曜日
2014年11月20日木曜日
読書感想文 金閣寺/三島由紀夫
三島由紀夫の金閣寺を途中まで読んだ。
物語の展開はおもしろいけど、描写がくどすぎた。もっとあっさり描写してくれたらぼくは好きだったかもしれない。全部読んだらこのクドさも意味があったのかもしれない。全部読む程にはぼくを引きつけなかったのは、彼が小説家であろうとしすぎているからだ。このクドさはヘンリーミラーの北回帰線をぼくに思い出させた。それも全部は読まなかった。ぼくの今の状態では、三島由紀夫なら潮騒だけ読めば十分だ。
2014年11月12日水曜日
映画感想文 マグノリア
マグノリアをみた。
タイトルは知ってたけどアメリカンビューティーと混同していた。違う映画だった。
すごくよかった。しまやんと見たかった。しまやんは既にみていた。
大事な事をちゃんと大事にしようとおもいました。
2014年11月1日土曜日
読書感想文 潮騒/三島由紀夫
三島由紀夫をはじめて読んだ。すごくよかった。
ぼくは彼の文は日本の政治的なことになていると思っていた。なんでかそういう印象があった。けれども潮騒を読んでみたらただひらすらに美しい労働と海と愛の話しだった。美しい。村上春樹で読みたいのがないときは三島由紀夫を読んだらいいとおもった。
2014年10月26日日曜日
映画感想文 The Master / ザ・マスター
ダメな男の人が個人でお酒を作れてそれで新興宗教のマスターと仲良くなる。
説明し尽くすだけの映画がすきではない人には、不可解がいくつかあってすごくよいと思う。
映画感想文 the cabin in the woods / ザ・キャビン
ホラー映画。おもしろかった。秋の長い夜に似合う。
ビッチと筋肉と処女と愚者、それから学者という五人の大学生が筋肉のいとこの山の別荘で週末をすごすというありふれた設定。でもだれかが彼らの行動範囲を制御している。
2014年10月13日月曜日
読書感想文 聖地Cs / 木村友祐
木村友祐の聖地CSを読んだ。
福島第一原発の近くの住んじゃいけないことになった土地で牛を世話してる人たちの話しだった。
主催者の人が楽しそうでよかった。
原発のこととかみんなもう忘れたいんだろうけど、まだなんにも解決してない。
ぼくはみんなが忘れたころにもういちど考え直すことが必要だとおもってる、なぜならそうやって考える内容まで社会につくられていると嫌だなって思うから。

発売日:2014/08/29
新潮社
2014年10月11日土曜日
2014年9月24日水曜日
感想文 横浜トリエンナーレ
こないだしまやん(嫁)と横浜トリエンナーレを見に行った。前に行ったのは都築響一も出展している時でこないだ友人と話したらそれは10年以上前のことのようだ。それをくらべると規模がちいさくなっていて日本はもう世界のアートを集めることができないんだなと感じた。前に見た時はいろいろ興奮したけれど、今回はなんか現代美術の型のようなものを感じてしまってそれはつまらないことだった。ミラーボールとターンテーブルと椅子を何個も見た。型がそこにあった。
そんな中でもおもしろいのがいくつもあった。黒いキャンバスに白い字で小さく言葉がたくさん書いてあるやつとかでっかいゴミ箱とか。映像作品はおもしろいのがたくさんあった。どうおもしろいかを言葉にして具体をもたせないとレオさんにおこられる。映像作品はどうおもしろかったんだろう。例えば人が一人でてきて屋根の上から落ちるだけシリーズが好きなんだけど、それはなんでおもしろいんだろう。そのシリーズは人がどこかかから落ちるとか法則がありそうだけど、見ているとただ立っててころんだりする。ああそうかと思う。なにを納得したのか知らないけどぼくはそこで、そう納得したんだとおもう。それで登場する人があんまりがんばってなくてなんか気楽にやってるのかな。たのしそう。キャプションとか見てないし解説聞くやつ借りてないから勝手に想像してる。だからぼくはまず見た目で訴えかけて来ないと見ない。この展示見に行った友人に聞いたら解説聞くやつあると楽しいらしい。もう一回行くと行ってたので次に美術館とか行ったら解説を機械から聞いてみようとおもいました。
最後にカフェがあって海っていうか湾が見えるんだけど、それがなかなか見応えのある景色で大竹伸朗の巨大な作品よりはるかに巨大な構造物がたくさんあっていろんなことを思いました。
読書感想文 知覚の哲学 ラジオ講演1948/メルロ・ポンティ
フランスの国営ラジオで放送した講演の為の原稿の日本語訳。放送はメルロ本人が話しているらしい。
ラジオだからか、細部につっこまないで全体をわーっと早歩きで見せるかんじだった。
原稿の訳:訳者解説が1:3くらいあるから詳しく知りたいところはなんとなく知れる。
なんで絵を描くのかたまに考えたりするけど、それに関するいくつかのキーワードが集まった。
原稿が話し言葉だからなのか他の哲学の本と違って言葉がわかる。言葉はわかるけど理解してないところたくさん残ってる。もういっかい読んでみる。
哲学の本の翻訳でいつも思うけど、もっと簡単な日本語に訳せなかったのかなあと思う。意味が少し違ってもかまわないからぼくにもわかる日本語で書いてくれるとたすかる。そういえば永井均の日本語は読めるということを思い出した。
ぼくにとって価値のある本はぼくに読める言葉で書いてあることが最初の条件だとおもった。読めない言葉でかいてあっても他の何かの価値があるかもしれないたとえば見た目に美しいとか。まあいいか。
知覚に関して哲学の人たちは、画家の「描く」ということを持ち出す時は、だいたいがなにか対象を見て「描く」ことについてに限っているような気がする。そうじゃない描き方もあるとぼくは思う。知覚したものを描くだけなのだろうか。メルロはこの本の中で一度だけ抽象に関しても同じだととれるような言い方をしている。その辺が気になってしかたがない。彼の時代には抽象が今ほど普通にあるわけじゃなかったんだろうな。描く事と知覚する事は必ずしも、そうだ、必ず関連するじゃないか。なるほど。びっくりした。今気がついた。やっぱりもう一回よんでみる。

知覚の哲学 ─ラジオ講演1948年
モーリス・メルロ=ポンティ 著 , 菅野 盾樹 翻訳
ちくま学芸文庫