2006年1月29日日曜日

落款について

 書の落款はなぜに漢文なんだろう? と考えて答えを出した上で漢文の落款を書き入れているのですか。 ビジュアル的に、ですか。 ただ、そう習ったからですか。 皆がそうするからですか。 それが、正式だからですか。 何をもってしての正式ですか。 もしくは、もしもし亀さんか。 まあ、いいか。
 誰にも読めて、ビジュアル的にもいい感じな落款を考えたい。 もしくは、もしもし自分文字で自分の名前だけにするか。 おお! それいいな。 それにした。

 魔法の5文字「まあ いいか」 を発明するのに、まる5年かかりましたよ。 
(・_・)マ イッカ。

 伝統 正式のものは、何かしらの理由でそうなっているのだろう。 でも、伝わるうちに、理由は忘れられたり、省略されたりしたのだろう。 だから、伝統や正式は、とりあえず受け入れるという姿勢もあるのだろう。 茶道の動きも、一つづつ理由や動機があったのだろう。 でもなぜか、まず動作のみが、伝えられる。 なぜその動きなのかは、各人自身が、気づいて行けばいいのだ。 なぜその動きなのかは、各人が違う理由を見つけても、同じ動きが、伝承される。 同じに見えても、理由が違うから、何かが違うのだ。 だから、差が出るのだ。 見えない差。 それは、人に教えられる事と、教えられない事の関係を思い出させた。

 日曜日の神田は、ノートの一冊も買えない。 無地ね。 ファミマは、コンビニなのに閉まってた。ビックリ。 銀座まで歩いて、イトーヤでやっと買えた。 芳名帳として神田珈琲園に置いといたので、行ってくれた人は、なんかしら書いてくれると、あたい、喜んじゃいます。

 オレ、画家になる。









でも、よく 字をほめられる。
なんでだ。
(・_・)