2008年7月18日金曜日

理解できないから美しいのか

きのう楽譜を見た。
五線譜だった。わー きれい!
子供の頃に学校で見たことあったけれど、今見ると、見た目の美しさが際立っているように感じます。
知らない文字、たとえばタイ語やウルドゥー語の新聞を見たときに美しく感じるのと似ているのだと思う。

英語のTシャツは美しくない。

チェゲバラの親族は以下を見た、日本人の若者が彼の顔のTシャツを着ているのを何回も。その若者達はきっと彼が何を成したのかをしらない、そして着るのをやめて欲しいと言った。日本人なら織田信長や徳川家康のTシャツを着る方がかっこいいらしい。

中身のないポーズだけの表現でも役に立つ時もある。たぶん。 数年後に振り返って恥ずかしい気持ちになる。そしたら向上心をもてると思う。そういうふうに役に立つのだと思う。

ぼくはよくある種の団体や会に誘われる。魅力的な相手だと試しに覗いてみたくなります。ぼくは魅力的な人物になりたい。

もしぼくが自分の事を嫌いだとしたら、それは ぼくがすてきじゃない事をしているからだ。他の原因は考えられない。だれかのせいでぼくがぼくを嫌いになるわけがない。すべては自分の責任だ。つまりぼくはその程度の人物でしかないというわけだ。それが嫌だったら自分を好きになるようになんとかすると思う。ぼくは自分が大好きです。

日本人的なのは嫌いだ。 日本的は大好きだ。
日本おとなの世界に稀にあるあの独特で過剰な謙遜と遠慮の文化は本当に理解不能です。それに男の世界がブレンドされるともうだめだ。嘘つきに見える。言論において統一性が保持できなくなるのだな。複雑な心なのね。

自由に描くのではなくて、自由になるために描くのです。だれかの言葉。 道具が体の一部になってからなら自由に描けばいいとおもう。 あるいは、そうなるまで自由に描けばいい。ぼくの血は油にはならなかったな。

もしぼくが今、絵を描くのをやめても挫折したとは言えない。まだやりつくしていないから挫折すらできない。

木を彫って仏像を作る名人が言った。木に仏像が入っているからそれを掘り起こすだけだって。ぼくの中には何が入っているのかな。楽しみだ。 何も入っていない木もあるらしい。

もしぼくに何も入っていなくてもそれを理解できるのならかなりの価値がある。もっと早く削りたい。 あせっちゃダメよ、うふふ。

あしたも労働だ。