質問して答えを聞く気がない人。質問されただけで怒る人。質問に対する返事が答えになっていない人。質問された時返答せずに、返答に対する意見を最初に述べる人。質問をされて、考える時間が長過ぎて質問されたことを忘れる人。質問と答え。たのしい会話と事務的な会話の違い。など。
ぼくにとってはあたりまえのことが、ほかのだれかにとっては当然まちがっていることがあってもちろんその逆もある。何かをつくっている人がよく陥っているのを見かけるけど語の定義に終止していることに。つくられたものが人間の社会でなんていう名前のカテゴリーに分類されようとも、つくった人にもつくられたものにもなんの問題もないと思うのだが、アートはこうでなければいけないとか、そういうこと言う人むかしはもっとたくさんいたなあと思う。そういえば哲学っていう語に疑問を感じるようになってきたんだけど、ぼくにとって哲学は分析哲学のことだった。けれどその語の使い方をみているとまったく分析していないことの方が多く見える。ぼくがやりたいのは分析哲学という名前のカテゴリーに分類されるようだ。知らなかった。もしぼくがやりたいことに先立って哲学という語があらわすものをやりたいのであれば、分析哲学だけでは哲学に足りないので幅をもっと広げるべきだろうけれど、もちろんぼくは哲学という語の定義に興味がないのでやらない。社会に対していままで哲学と言って来たところを分析哲学と言い換えるだけだ。アートという語も同じようなことになってそうだ。ぼくがつくるものがアートじゃなくてもだれも何も困らない。なんと呼んでもいい。哲学の名のもとに踊る人もいるわけだし、それをやっている人にその語を使う事にいっさいの躊躇がないのならば(ないところまでもっていけているのであれば)なにをなんと呼んでもいいようなきがしてきた。スティーブライヒやリゲティもクラシックという名前のところに分類される。けれど経済に絡むとそうも言ってられなそうだ。
2014年6月15日日曜日
アート、ジャズ、哲学。