こないだイシボリオット大会をしました。
使う道具とかみんなの下絵です
ソウルフルに彫ってるわたなべさん。
印泥には種類がいくつかあります。左の明るい色の印泥をイシボリ初参加の方にあげることにしています。
楽しかったねー。
参加してくれてありがとうございました。
このあと、たくちゃんがパスタを作って持ってきてくれました。うまーい!
また一緒に遊んでください。次ぎの俺道場は遠足(うた会)ですよ☆わーい。
2007年7月17日火曜日
俺道場・イシボリオット大会でした(画像付きで)
2007年7月10日火曜日
2007年7月6日金曜日
石、遠足、EAR、禅、お食事会
道場を始めてから数ヶ月経ちます。最初はできるのかどうなのかわからなかったけれど、今もできてるのかどうなのかわかりません。でも楽しいです!
■7月15日(日曜日) イシボリオット大会(てんこく)
石を彫ってハンコを作ろう。石は思いのほか柔らかいですよ。
時間 午後 3時~5時半くらいまで
■7月19日(木曜日)「 禅 」party at wedge(下北沢)
open 22:00
■7月21日(土曜日)EARで展示始めです。始めて立体のモノを展示するのでわくわくする。27時からDJします。展示は8月11日までの4回の土曜日だけです。レアな展示だな。
■7月28日(土曜日) キボリオンヌ・遠足!(うた会)
鋸山(のこぎりやま)、日本寺に行きます。遠足中に俳句かポエムを作って発表しましょう。フェリー(片道500円)で行く。
■8月26日(日曜日) お食事会 at 1階中
俺道場で初のお食事会です。DJ兼料理研究家のたくちゃんが食事を作りますよ! だってたくちゃんはぼくんち(1階右)のとなり部屋(1階中)に住んでますから、会議の結果やることになりました。わーい。まだ先なので詳細は未定ですけどお楽しみに。
毎月やりたかった絵画品評大会ですが、7月はできないです。展示がいくつかあって時間が作れないのです、残念だ。8月にはやります、日時はしばしお待ち下さい。
たくちゃんがとなりに引っ越してきたとき近所パワーで音楽をやるかもしれないなと思ったけれど、意外にもたくちゃんは料理研究家(調理師免許有り)でもあったのでお食事会が先に計画できた。たくちゃんは裸族の一種なので、また裸を描きたいです。
2007年7月5日木曜日
いつか行った山の話しのつづき
朝目が覚めると、少し寝汗をかいていたにもかかわらずテントの内側は凍っていた。すばらしい寝袋だということだな。テントから這い出ると目の前の木に青い小さなカラビナがぶら下がっている。それは1年くらい前にぼくがどこかでなくしたものだった。
ホワイトガソリンのコンロで朝のコーヒーを沸かして飲んだ。寝袋とテントを畳んでリュックに荷物をつめて歩き出した。山では早起きするものだと思いがちだが、すでに10時だった。方位磁石と地図で一応の確認をする。地球はでっかい磁石なんだなと思う。そして自転軸と磁石には少なくはないズレがあるのを実感した。
標高が上がってきてぼくが持っている装備では気温の低さに十分ではないと感じた。次ぎ来る前に手袋を買おうと心に決めた。
踏み跡をたどっていると、はじめのうちはいろんな考えが頭に浮かんでは流れ去っていくけれど、そのうち頭が空っぽになる。そして突然、道を見失っていることに気が付いた。まあいいか。見晴らしが良いので目標の尾根が見えるから安心だ。踏み跡のない山を歩くのが本当は大好きだ。自分が踏み跡を作るのだ。それは進むのに時間がかかるし植物たちを痛めるけれど、原始的な満足感があるな。ひとにはすすめられないけど。山で一番危険なのはたぶんパニックになることだろう。ぼくはなぜか山の中が怖くない。人によっては怖いらしい。でも夜の山は恐れ多い。獣の時間だから。
そして、東京都で一番高い二千何メートルだかの雲取山を過ぎて、2回目のキャンプにした。そして次ぎの日にずっと下って奥多摩駅まで歩く。そのあたりでは、川原でバーベキュウとかをしに来た人達や、オートキャンプ場にでもいくのだろうか、食材を買い物袋に満載している人達を見た。
温泉に入ってから電車に乗って部屋に戻ると、部屋が散らかっていて気分が悪かった。これからは、出かける前に部屋を掃除しようと思いました。
2007年7月4日水曜日
いつか行った山の話し
ぼくは奥多摩を2泊3日で一周するのが好きだ。といってもいままでに3回くらいしかやったことない。
青梅線のある駅で降りて山に入る。いくつかの山を越えて長い尾根にでる。尾根をずっと行くと水場があって、そこで水を補充するつもりだったけれど一滴もでていなかった。
水場を左に下ると下山の道だ。尾根をさらに奥へ行くと避難小屋があるはずだ。その水場を越えて避難小屋へ行く道に入ると軽装備の登山者とは出会わなくなる。このへんからがぼくの好きな山だ。景色がいいかどうかとか、関係無い。人が居なければそれでいい。
いくつかの山を越えたあたりで登山道を外れてキャンプすることにした。名前の無い山頂は平らだった。雪を畳一枚分くらいの大きさで踏み固めて平地を作った。日が暮れる前に寝袋を準備する。それから寒くて焚き火をした。気が付くとあたりは真っ暗になっていて満天の星空だった。ぼくは焚き火にあたりながらペットボトルに入れてきた甘いワインを飲んだ。星は近くにあった。飛行機かヘリコプタがあったら取りにいけるなと思った。小便をしに崖の方へ行くと眼下に町の光りが見えた。そこには人々の生活がある。社会があるのだな。愛と憎しみがあるのだな。人々は喜んだり悲しんだり怒ったりもするのだろうな。その光りの一粒づつには、なにかしらの意味があるはずだけれど遠くから見ると1つづつを個別には判別できない。それが町なのかもしれないなということを考えなから、なるべく遠くに小便を飛ばそうとした。
2007年7月2日月曜日
ねんど 表面と奥 ある技法の名前
ぼくが使っている粘土はクレイドっていうやつです。乾くと色が明るくなる。作ったばかりのしっとり感が好きなので、表面をなんとかしよう。
さっき亜麻仁油を塗ってみた。それが表面を濡らしていて良い。でもすぐに粘土が吸い込んでしまって表面に残らない。完全に乾いたらもう1回塗ってみよう。ということは最初の塗りは、すぐに乾くアクリルや膠でよろしいのかな。それから、艶のでる油性の何かをぬったらいいのかな。いろいろやってみるよ。
あるいは乾いた時の質感をいかすように作るのか。そんな粘土をEARで展示します。
墨に関しても以前は描いた直後のしっとり感が好きだったけれど、乾いて明るくなった時の色をいかすように描けるようになってきた。それを考えなくてもできるように身につけるんです。30日で習慣になるらしい。
ぼくの最も奥深くから出てくる形を作りたい。表面から出てくる形を作るのはおもしろくない。浅い。他人が作るものもそうです。奥深くから出ている形を描いてるなと感じる絵がすきだ、と言葉で書いてしまうとなんか違う感じがする。まあいいか。
初めて粘土であそぶ人は奥深くの形を出してくるから圧倒される。絵もそうかな。ちょっと描けるようになった頃の絵がいちばんつまらない。それは小手先で描いた表面的な絵だ。ぼくはそれはいやだ。だからちょっと描けるようになってしまったら、退化を待つのは時間がもったいないし楽しくないのでつきぬけるしかない。作る喜びを持ったまま突き詰めたらいつかは抜ける。
たとえば、歴史の年表を覚えている人が歴史を知っているとは限らないのと同じように、技法の名前を知っている人がその技法を使いこなせるとは限らない。だから用語を連発する人は信用ならない。用語を効果的に使うと心理的にはラポールを与えるらしいけれど、効果的に使えてない人の用語は恥ずかしい。
今週の土曜日は