バックミンスター・フラーという人の本を読んでる。
ぼくは短い本でも読むのにすごく時間がかかる。電車の移動時間にしか本を読まない。
フラーの言っている事は何千年も前から聖書が言ってることだと思った。キリスト教徒は聖書を信じているはずなのにほとんど全てのキリスト教徒が聖書に従わないのはなぜだろう。聖書を読めば、読むべきフラーの文は半分くらいになりそうだ。すごく簡潔に書いてる。翻訳のせいかもしれないが単語がちゅうにっぽいときがあって少しはずかしい。どうしてもその語でないといけなかったのだろうか。
ぼくは以前、哲学っていうのは世界の本当のことを探すことだと思っていたけれど、その後なぞなぞみたいなものだと思うようになっていた。それを最近確信してきた。難解で秀逸ななぞなぞは解くのに一週間くらい考える。なぞなぞという呼び方はもしかしたら少し違うかもしれない。クイズ?まあそんな感じ。哲学者っていう職業の人はクイズとかなぞなぞの問題を作っている人。じょうずにつくるとそのなぞなぞが理解されるのに世界中の専門家が研究しても100年くらいかかる。あるいは、すぐに理解されるけれど内容が400年くらい人々の興味を引付け続けることもあるんだろうな。翻訳文しかしらないけどフラーの文は分かりやすい。
ところでいままで読んだ本の中でいちばん人に勧めたいのはリチャードバックのOneという小説の序文です。プロローグっていうの?わかんない。とにかくOneの最初の数ページの川の中の物語をよんだらいいのに。
間違えた。イリュージョンだ。リチャードバックのイリュージョンの最初の川の中の物語です。
2012年8月1日水曜日
本
2012年7月24日火曜日
2012年7月22日日曜日
高瀬きぼりおの論理哲学宗教日記
やろうとおもうとできないから、やらないとおもうんだけど、それだとやらないからできない。
やろうともやらないともおもわなくなったときにできるのかもしれないけどそういう状態ってじぶんでつくれるんだろうか。
なんかきゅうにできたりするから、これはじぶんの努力じゃないとおもう。なんかの運か自覚のない才能か。きわめて特殊な才能に自分の生活が依存しているのがこわい、とウィトゲンシュタインの日記にあった。ぼくはまだ依存してないけど、そうなった時どういう考えで乗り越えたらいいんだろうか。よくわからないけど、ぼくなりにいっしょうけんめいやらないことをやるっていうことをやろうともやらないともおもわずにできるようになることをがんばりようがないけどがんばるふりだけする?それもなんか変だ。まあ、よくわからんから正直でいよう。
2012年7月17日火曜日
読書感想文 ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記
ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記を読んだ。
夢の話しがおもしろかった。
お金持ちのお家にうまれてもそれとは関係なくひどく悩んだりするんだなあとおもった。
生活が自分の特殊能力に依存している人の悩みが興味深いけれど、よくわからなかった。
こんな人でも恋をするんだなあとおもった。
こんな人でも作曲ができることへの強い憧れがあるんだなあとおもった。
すっごくあたまがいいんだろうけど、意外と近くに感じた。
すっごくあたまが良くてお金持ちのお家に生まれても不幸なんだなとおもった。
今のぼくはこの人よりも幸せだ。でもあたまが良いのはうらやましい。日記でも知性的だった。ぼくのぶろぐの日本語がひどいことを思い出された。
子供の頃おなじクラスにいたら友だちになっただろうか。わからない。
2012年7月16日月曜日
おれなりの絵の描き方詳しくおしえます
絵の具を筆とか刷毛(はけ)に付けてキャンバスにこすり移します。
たまにペインティングナイフでガリガリ削ります。
いい感じになるまで繰り返します。
スケッチ大会やりたい。
2012年7月9日月曜日
えのぐ
展示がおわったから木枠からキャンバスを剥がしてみた。記念に一個だけ貼りっぱなしにしとくかな。
そして好きかってに絵の具と刷毛と戯れるかなと思ってる。そう、おれは今それをやりたい。絵の具とたわむれたい。
絵の具と戯れた結果が、既存のカテゴリーにハマるのかもしれない。でもカテゴリの名前に興味はない。友人の画家がよく、アートとはうんたらかんたら言ってるけど、それはその人の思うアートとはこういうものっていう事であってそこからずれたものがアートとして認知されてることが嫌なんだそうだ。つまり友人は社会にそれはアートじゃないぞーって言いたいんだろうか。くだらねえ。言葉言葉ことばことばことばことばことばことば。
言葉。ことばことばことば。
ことばことばことばことばことばことば。