2012年10月31日水曜日

自由と表現についてのメモ2

演出の強度が強いと説得力がある。
ある強度を超えると真実と同義だ。

自由と表現についてのメモ

自由はない。
制限する自由。制限の中の複数のものの共通点は影。制限は光を通さない。
影から制限を想像するけれど境界線は閉じない。なぜなら影しか知らないから。
演出された境界線を超えるという演出、という制限。
制限の作者と影を鑑賞する者は影しか知らない。

影をつくるけれど、本当は制限をつくっているのだとおもう。
あるいは他者の制限を組み合わせて、新しいと見えるような影をつくっているのだとおもう。

2012年10月30日火曜日

これからの予定

絵の予定がなかったんだけど目標ができた。うれしい。
需要に全力で応えることにした。

望んだわけではなかったけれど経験させてもらってきたことがある。それに対して疑問があってやめようかなと思っていたけれど、疑問があるっていうことはきっと好きなんだとおもう。そして、もっとよくできるはずなんだと思う。それをきのうから正直にやっていくことにした。

絵に関して。
自分で事を起こさないと、だれにも何もやらされることはない。 だから義務もないし愚痴なんかない。だからやりたい事を正直にやる。こうありたいという遠い目標と目先のやりたいことは一致するはずだ。一個ずつ正直にやる。それは絵に関するとはいえ、絵でなくてもいいということだ。正直でさえあればいい。と自分に言うのだ。

きょうは太陽くんとか、けんちゃんのライブを見に行く。下北はアウェー感があるけど、良い居酒屋をみつけてその時間まで呑む予定。

ぼくは実験をして人前で作品として発表するまでの時間がたぶん普通の人よりも短い。それは実験を成功させて、エンタテイメント化するのがうまいとか速いとかそういう意味ではなくて、ただ実験のある段階で発表してしまうのが好きなだけだ。そしてそういう作品を見るのが好きだ。そういう作品というのは、そいういう作品だろうとぼくに感じさせるという意味だ。事実は問題じゃない。金曜日はのぶちゃんとボルダリングに行く。自分が何級なのかを知りたい。

2012年10月29日月曜日

メモ

A1-OSJ
モノラルパワーアンプ20w
ルーパー
ディレイ
プリアンプ(コンプレッサー、オーバードライブ)

モノラルピンジャック
ピンプラグ(オスオス)
機械スイッチ


配線
半田

低音ブースト用の何か。
ノイズゲート

わくわくするよね

2012年10月28日日曜日


こないだしまやんと散歩した。 阿佐ヶ谷の北の方。

2012年10月18日木曜日

無題

音楽。
純粋に音を楽しむことと、演奏を楽しむことは別だとおもった。
たとえば、空気。

最近PCで作られたような音楽を密閉式イヤフォンで聴くとどこにも空気が入ってないからなんか変だという意見を聞くことが増えたけど、ぼくはそういう音に好きなものが多い。頭の中で鳴っているような、耳かきが届かない奥をこちょこちょされているような気持ち良さがだいすきだ。

それと生楽器の演奏を楽しむときを比較してみると、演奏を楽しむことは純粋に音だけを楽しんでいるわけではないことがわかる。
宇宙に良い悪いはない。好き嫌いしかない。
ぼくはどっちにも好きも嫌いもそのあらゆる中間もある。
2012年東京。不自然なものは何か。人間は自然だろうか。
白と黒の間のすべての地点の可能性の中で、俺のグラデーションは有色で原色。

読書感想文 孤独の発明/ポール・オースター

ポール・オースターの孤独の発明を読んだ。タイトルがすごくいい。
つまらん。
50ページくらいでよむのやめた。
次1Q84読む。

さいきんのバイト先のメンバーがみんなというか半分以上、小説を読む人なのでたのしい。しかもけっこう趣味があいそうだ。ぼくは小説をよく読むようになったのはさいきんだけど、みんなくわしい。村上春樹、ポール・オースター、カポーティあたりの話題になることがある。ジャックケルアックがつまらんことで一致したのはめずらしい。そういう好き嫌いは嘘ついて相手に合わせても意味がないのでみんな自由に自分を表現できるのがいいとおもう。だれも傷つけない。タンブラーとかついたーのRTとかfacebookのshareとかはそういう感じだとおもう。身近なだれをも傷つけないで簡単に自己表現できる。でもぼくがやりたいのはそういうんじゃないしぼくが見たいのもそういんじゃないっていうことはわかってもらえてるとおもう。たとえばDJっていう立場。他人の作品を並べることと作品をつくることは何かが違う。経済まわすのはその方がてっとりばやいのかもしらんけど、おれはやらない。とはいえ俺も他人がつくった絵の具を筆で並べてるだけなんだけど。五十歩百歩ってこういう時につかうんだろうか。つくるってなんだろう。土で家をつくることは上記の矛盾からの解脱。土はだれがつくったんでもない。そうだとしても俺は俺の原色を塗る。

その後、1Q84は四冊組で途中から買ってしまった。なので孤独の発明をしかたなく持ってバイトに向かう電車に乗った。これはオースター家の記録で名前の似た登場人物がたくさんでてきて混乱して読みずらい。

そういえば以前は、小説は作り話しだから読んでも意味がないとおもっていた。それはとくに推理小説っていうやつはどうせ全部つくりばなしだし、さいごに謎が解けるんだが、そのなぞは作者がにぎってて、なんかどうでもよくなっちゃってあんまり小説をよみきったことがなかった。でも、村上春樹の小説を読んだときにそういう不快感がなくてすごく気持ちよかった。こういうのを透明感ってみんなが言ってるんだろうか。透明感が比喩としてどういう意味を持つのか、ぼくの経験では例文がすくないのでまだよくわからない。

たくさん小説を読んだわけじゃないけど、村上春樹とポール・オースターはそういう部分が似ていると思った。特に偶然の音楽(オースター)は村上春樹の中でもちょうどぼくがだいすきな雰囲気だった。ぼくがこういう小説がすきだっていう話しをしたらカポーティをすすめてくれた人がいる。いつか読んでみようとおもう。あとカフカの城もすすめられて試したけど読みきれなさそうだった。さいきん心地いい文に飢えてる。北園克衛みたいな詩も読んでみようかと思い始めている。詩の方が純粋に文を味わうことができそうだ。文界のミニマリズムだな。おれきっとそういうのがすきなんだな、とおもった。