2012年10月18日木曜日

読書感想文 孤独の発明/ポール・オースター

ポール・オースターの孤独の発明を読んだ。タイトルがすごくいい。
つまらん。
50ページくらいでよむのやめた。
次1Q84読む。

さいきんのバイト先のメンバーがみんなというか半分以上、小説を読む人なのでたのしい。しかもけっこう趣味があいそうだ。ぼくは小説をよく読むようになったのはさいきんだけど、みんなくわしい。村上春樹、ポール・オースター、カポーティあたりの話題になることがある。ジャックケルアックがつまらんことで一致したのはめずらしい。そういう好き嫌いは嘘ついて相手に合わせても意味がないのでみんな自由に自分を表現できるのがいいとおもう。だれも傷つけない。タンブラーとかついたーのRTとかfacebookのshareとかはそういう感じだとおもう。身近なだれをも傷つけないで簡単に自己表現できる。でもぼくがやりたいのはそういうんじゃないしぼくが見たいのもそういんじゃないっていうことはわかってもらえてるとおもう。たとえばDJっていう立場。他人の作品を並べることと作品をつくることは何かが違う。経済まわすのはその方がてっとりばやいのかもしらんけど、おれはやらない。とはいえ俺も他人がつくった絵の具を筆で並べてるだけなんだけど。五十歩百歩ってこういう時につかうんだろうか。つくるってなんだろう。土で家をつくることは上記の矛盾からの解脱。土はだれがつくったんでもない。そうだとしても俺は俺の原色を塗る。

その後、1Q84は四冊組で途中から買ってしまった。なので孤独の発明をしかたなく持ってバイトに向かう電車に乗った。これはオースター家の記録で名前の似た登場人物がたくさんでてきて混乱して読みずらい。

そういえば以前は、小説は作り話しだから読んでも意味がないとおもっていた。それはとくに推理小説っていうやつはどうせ全部つくりばなしだし、さいごに謎が解けるんだが、そのなぞは作者がにぎってて、なんかどうでもよくなっちゃってあんまり小説をよみきったことがなかった。でも、村上春樹の小説を読んだときにそういう不快感がなくてすごく気持ちよかった。こういうのを透明感ってみんなが言ってるんだろうか。透明感が比喩としてどういう意味を持つのか、ぼくの経験では例文がすくないのでまだよくわからない。

たくさん小説を読んだわけじゃないけど、村上春樹とポール・オースターはそういう部分が似ていると思った。特に偶然の音楽(オースター)は村上春樹の中でもちょうどぼくがだいすきな雰囲気だった。ぼくがこういう小説がすきだっていう話しをしたらカポーティをすすめてくれた人がいる。いつか読んでみようとおもう。あとカフカの城もすすめられて試したけど読みきれなさそうだった。さいきん心地いい文に飢えてる。北園克衛みたいな詩も読んでみようかと思い始めている。詩の方が純粋に文を味わうことができそうだ。文界のミニマリズムだな。おれきっとそういうのがすきなんだな、とおもった。