精神の深さが苦悩の深さだとしたら、ぼくはぼくの作品に深さは求めない。
ぼくは苦悩などは、なくてすむのなら無い方がいいと思ってる。以前のぼくは違った。
若い頃ぼくは作品に深みが欲しかった。
それには苦悩が必要なのだと知ってかしらずかぼくは自ら苦悩した。
義務を感じていた。
自分にはやるべきことがあり、それに向かって進み、困難に立ち向かい、苦悩している。そんな自分が好きだった。
苦悩のない人間はやるべきことのない堕落した人間であった。つまりぼく以外の人間はバカに見えた。
それらはすべて幻想であった。
あるとき気がついた。
やるべきことなんて何一つ無い、ぼくは自由だ、ということに気がついてしまった。
それまでも、それを諭そうとしてくれた人が何人かいた。
でも、それまでのぼくは、認めたくなかった。
あるのは、やるべきことではなくて、やりたいことだけだった。
限られた選択肢ではあるが、その中でやりたいことをやっているという点で人間はみんな同じだった。
堕落しているように見える人でも、素晴らしい人でも、各自選んでそうしている訳でその点で差はない。
つまり堕落でも、すばらしくもない。
急に世界が真っ平らになった。
ぼくは、どこに進みたいのだろう。
ぼくはどんな自分を選ぶのだろう。
平らな世界には、好き嫌いしか残っていない。
2009年3月17日火曜日
好き嫌い