2013年4月3日水曜日

てちゅがく

wikiの「哲学」を読んだ。
それは、対象が決まっていない、そして対象を扱う方法も決まっていない、まさに「知を愛する」という原語直訳が似合うようだ。

ということは僕がやりたい哲学は方法がある程度限定されてる。基本的には論理を使いたい。だけど直感を信じたい。直感を論理的に分解あるいは説明しようとする行為でありたい。非論理的な[記述や発言]の羅列を哲学とは感じない。また歴史的な事実がそういった哲学にあまり必要ではないという直感がある。

時には論理が直感を覆すことになってあたらしい感覚を手に入れられそうになる。それがぼくに起こったのは、いままでに一度しかない。

歴史的な事実に関しては縄文時代以前の世界史つまり自然淘汰説と、その延長(現在を含む社会学など)には興味がある。

また、すべての哲学は大きな仮説の上になりたっているので、ひとつ以外のことを断定することはないと信じてる。そのひとつのことについては今は書かない。

以上のような言葉の集合が誤解しかうまないことが想像できるけれどそれはそれでかまわない。

ぼくは今よっぱらっている。