知り合いのなかから哲学的だなあと思う人をさそって哲学サミットしたり、雑談会などしてるんだけど、それは結局ぼくの哲学を手伝ってもらってるなあと思った。
それで気がついたこといくつかある。つまりcloud上にメモしたい。webじゃなくてcloudっていう方がなんかそれっぽい。
ひとりだけ名前を出しちゃうと浅地くんがぼくの哲学の先生。それは7年くらい前。いっしょにバイトしながら言語ゲームを、これでもかっていうくらい噛み砕いて教えてもらった。
彼は論理の人だと思った。ぼくは、ぼく自身もそうだと思ってた。
ぼくが哲学を分類していいなら、今のところ3つにわけたい。
1.エピソード系(身の上話)
2.教訓系
3.論理系
で、自分がどの哲学系にどんなバランスで属してるかは変わっていくものだときのう知った。
ぼくは浅地の影響が強くて、しかも今永井均のウィトゲンシュタイン入門をゆっくりゆっくり読んでる途中だからだとおもうのだが、どうやら論理系100%だった。最近まで。 でも前回の哲学サミット(ぼくが知人に集まってもらった)で、ぼくはぼくの論理の限界を見た。論理でこれより先に進むのは後回しにしようと思った。「同じことを違う言葉で言ってる」という発言が大きなヒントだった。
(その時のぼくの論理的な興味は言語と言葉と認識と世界とかそのへんだった)
登ったら梯子は捨ててしまえと永井均やウィトゲンシュタインが言ったことを思い出したが、はたしてぼくは登ったのだろうか。2合目くらいで降りてしまったのかもしれない。そうだとしても自分の直感を信じるしかない。
ぼくはすぐに影響を受けるし、論理的に論じられるといつのまにか受け入れてる。
それで、「論理」自体もいつの間にか受け入れてたことに気がついた。
論理が何かはわかるけど、論理そのものを言うことはできない。違う。ほら言えない。それは、技術が足りないせいなのか本質的に言えないものなのか。
ところで、社会や人間の諸問題は、論理化した時点で瞬時に解決する。論理に理解や思考はいらない、処理するだけだ。論理化することが大変なんだ。
ぼくは次はエピソード系に触れてみたい。
ちょうどよいお誘いも来た。
たのしみだな。
2013年5月16日木曜日
てちゅがく2