写真や映像の素人表現者はずるい。安全な高いところから搾取しているだけだ。いきなり他人にカメラを向けてなんかさせたり、しゃべらせたりした映像を後で安全な別の場所で組み合わせて作品をつくる。被写体になる人物は何かを命がけで表現していてそれをカメラに向けさせられたり作っているところを撮られたリする。つまり被写体はリスクを持ってむき出しの自分を提供するのに対してそれを撮る人は撮る時点ではむき出しの感性を被写体に提供しないのがずるい。リスクの交換がないということかな。ごくまれに「写真を撮ってあげる」という感性の持ち主もいる。もってのほかだ、意味が分からない。一瞥して結構ですと断る。
そういう意味で盗撮写真が好きではない。町中で他人の姿をかってに撮って漢字二文字のタイトルを付けてSNSに載せたりしてるのは典型的な搾取に感じてしまう。その際、望遠だと罪が重い。広角で或る距離まで寄って目線があれば無罪だ。或る距離というのは被写体が殴ろうと思えばすぐに殴れる距離のことだ。そういう写真には作者のリスクと意思を感じて好感が持てることが多い。
タイトルについて。作品のタイトルは作品の感想や描かれているそのもの自体の名前であってはならない。タイトルを付けるのであれば、作品とタイトルとでひとつの世界を成すべきだ。新宿の街の一角を撮った写真に東京というタイトルをつけてはいけない。それは説明ですらない。東京をえがききった作品には東京というタイトルをつけてもいいかもしれないが。しかし、もしも新宿の街の一角を撮った写真が東京をえがききっているならば、或いはそれが東京というタイトルと響きあって一つの世界を成すのであればタイトルはそれでいい。素人はとにかく漢字二文字のタイトルから脱却することを第一歩に精進して発表してほしい。そのほうが世に面白みが増える。増やしてください。写真は普通にいいのに言葉で違うなあって思ってしまって残念なことがあまりにも多い。タイトルを作るのってそんなに難しいことだろうか。
早起きして散歩した。
2014年1月17日金曜日
写真とそのタイトルに関すること