2014年1月22日水曜日

哲学に関すること

ぼくが哲学という言葉で思い浮かべるのはなんらかの疑問を論理的に解読していくことだ。論理には人情や優しさは含まれない。数学みたいな処理があるだけだ。ぼくはそういう哲学しか知らなかったのだが世の中には、哲学とは生活の悩みを解決するもの、と思っている人がいるらしいことを知った。哲学という語に与える意味がぼくとは違う人がけっこうたくさんいるようだ。生活の悩みの解決を(ぼくにとっての)哲学に求めることはできない(できるかもしれない)。それは友達かカウンセラーに相談するべきだと思う。

話しは変わるが論理の信用性が薄れてきた。
ぼくは知覚は真実を捉えていないと思っていて、つまりあらゆる物の存在は疑わしいという立場なのだが、自意識とか精神活動というべきかなんと呼んでもいいんだけど、そういうのがあるっていうことは、主語なしの「無ではない」は疑えない事実だ、という事の証拠だ。そして唯一の疑えない事実だ、つまり真実だ。そしてそれ以上どこへも議論は行かない。ということを論理的に導いてみたつもりで何年かが過ぎてきたんだけど、最近それを導いた論理そのものを疑わずに受け入れていたことに気がついて愕然とした。あらゆる物の存在を疑ってみたのにどうして論理は疑わないんだろう。それはおかしい。そうすると「無ではない」も怪しくなってきた。なので今もっとも気になるのは論理ってなんだろうって言う事です。これはぼく一人では一歩も先に進めなさそうな気がする。考えがまとまったらブログに書きます。いや、でも無ではないだろう?