自己分析の時間。
どうやらぼくは、絵とか立体作品とかに関して、作者の思いとか狙いとかそういうのがなるべく薄いものが好きらしい。薄いという言葉はうまく言えてないかもしれない。呪いがかかったような作品より、そういう意味であっさりしてるのが好きみたい。だからミニマルとかに一時興味をもったのだとおもう。ミニマルは今はなんか違う気がする。音楽はいまだにミニマルは聴ける。
呪いがかかったような作品はおもしろがることはできることもあるけど、わざわざ見たいとは思わない。ぼくの美術的なものの見方は素人に近いのでよく素人だとおもわれるっぽいことに最近気がついた。事実にはあんまり興味がないのでそれでかまわない。
美術的なものの見方が素人と同じなのと同様に、ぼくは哲学的な考え方も素人に近いあるいは同じだ。ぼくは物はみえるようにあると考えてる。だけどさいきんどうでもよくなってしまった。「どうでもよい」は哲学的な死である。ぼくは哲学的に死んだのだとおもう。ぼくは哲学に興味のない大勢の中のひとりに戻る。
このようにしてぼくの中のいろんな興味が死んだ。残っているものに執着しないでどんどん捨てていきたい。最後はからっぽになって、閉じた輪のなかで暮らすのだろうか。そもそも輪は閉じるのだろうか。まあいいや。
2015年2月16日月曜日