(2008年秋の旅行の記録です)
ウチヒサルとギョレメの間にある渓谷がきれいで静かですきだった。
宿で会った旅行者とビールをのみながらそこを歩いた。
彼女は一人ではぜったいにこんな道を歩けないと言った。
男の目が怖いのだと言った。さっきの町も一人では行けないと行った。
ぼくの目は怖くないのだろうかと思った。
ある日、山を歩いた。山と呼ばれていたが樹木はほとんどない。
近づいて触ると確かにそこに在ったけれども、離れてみると実在感のうすく嘘みたいな景色だった。
ぼくの脳が持っていない形と質感だった。
洞窟があって人がいた。
昔の隠れ教会だった。
守り人は、あるワイナリーのオーナーだった。
そして彼が作った白ワインを飲んだ。
ストーブが暖かかった。
最後の夜に雪がふった。
裏山から日が沈むのをながめがていると日本人の男女がきた。
一週間くらい旅行だそうだ。
ぼくの話を聞いて、若かったらそういう旅行をしてみたいと彼らは言ったけれども、彼らはぼくよりも若かった。
早朝にバスがパムッカレ温泉の近くに着いた。
外国人旅行者むけの宿だった。
宿泊料込みのパックツアーを持ちかけてきたが断った。
なぜかほかの旅行者はその提案を受け入れていたのが不思議だった。
ぼくは2時間ほどソファーで眠って、荷物を持って歩き始めた。
外はまだ薄暗かった。
歩いてすぐの所のパン屋さんが仕事を初めていた。
温泉は歩いて行けるとの事だったので歩いていると明るくなってきた。
お土産物屋がいくつか開いていたので入った。
寒かったので、お茶と食べ物をくださいというと、奥に招かれて家族らしき人々と共に朝食をたらふく頂いた。
家族みんなを紹介してくれた。
若者の嫁がとてもきれいだった。
さらにリュックを預かってくれた。
観光地にもかかわらず、客にこんなに優しくしていたらきりがないだろうなあと思ったけれども、なんとかなるものなのだなと妙に納得した。
パムッカレ入り口に行くとまだ開いていなかった。
少し歩いて、座って絵を描いていると犬が来た。
犬に触った。
犬はぼくが描き終わるまで横で丸まって寝ていた。
ぼくが立ち上がると、その犬がこっちにおいでと言った。
人間以外の生きものに話しかけられたのはその時が最初で唯一だった。
ぼくは付いて行った。
犬に付いて湿地を行くとフェンスが壊れていて、パムッカレの敷地の内側に入れる場所があった。
犬はそこで小便をした。
ありがとう、犬。
ぼくはそこから入らずに、さらに山の奥の方へ行った。
家々が見えたから。
ある家から大声でぼくに呼びかけた。なにもいらないよ。
ぼくは村を離れて山を横にまわった。
樹木はなくなって見晴らしがよくなった。
下のほうにパムッカレ温泉の湯気が見える。
野糞をした。
犬くんに教えてもらった入り口から敷地に入った。
広い草原を抜けた。
ギリシャ時代かなんかの遺跡をみた。
石を積んだだけなのにまだのこってる。
温泉の所は観光地だった。
景色は地球のものとは思えない違和感があった。
温泉に足だけ浸かって昼寝した。
バスで町まで戻った。
ピザとビールを食べた。
ぼくが食べているだけで若者が集まってくるのはなんでだろう。
アジア人の旅行者なら他にもいるのに。
夜バスでブルサという町に向かった。
ブルサは作られた観光地だなと思った。
でも、はなしに聞いたジュマルクズクという小さいエリアは素朴でよかった。
素朴だがガメツく商売していて、たくましいと思った。
ぼくが見習わないと行けない部分でもあった。
ブルサのケバブ屋の人と仲良くなった。
ぼくの絵を店に飾ったくれた。
ある日、隣の店の男が来て、ぼくをムスリムにすると言った。
名前はきぼりおよりもキボリが美しいと言った。
イスタンブルでも同じ事を言われていた。
そしてムスタファというムスリムの名前と帽子をもらった。
そうしてぼくはキボリ・ムスタファになった。
アタチュルクや歴史の講義を受けた。
ぼくもこれくらい自国のことを愛せるだろうかと思った。
昼バスでイスタンブルに戻った。
途中バスごと船に乗った。
例の宿(tree of life) に戻るとメンバーが入れ替わっていた。
宿はこうやっていつも人が流れているのだなと思った。
奇跡のような一瞬の出会いもあるだろうなとおもった。
旅行で会う人は、その場限りだから気を使わなくていい、と言った人がいたけれども、ぼくはずっと会いそうな人もその場限りの人も変わらないきがする。
海沿いにお気に入りのベンチがあってそこに座って物思いにふけった。
そして飛行機に乗ってドバイ経由で関空に着いた。
日本には日本人しかいない。
京都に一泊した。
宿でオージー3人と話した。
彼らもアーティストで、bababa international というグループ名で活動している。
同じ日に東京に行く事にした。
夜行バスの切符売り場では英語が通じなかった。
案内板も日本語だけだった。
そのわかりずらさは、ぼくにとってのウクライナと同じくらいだろうなと思った。
日本は先進国なのになんで英語が通じないのかと何度か訊かれたことがある。
東京には笑顔がないなあと思った。
数ヶ月ぶりに労働してみて笑顔がない訳がわかった。
みんな、いっせいにやめればいいのに。
過剰なサービスとか過剰な服従とか。
そんな仮面いらないから人間として接しませんかと思う。
生きるのには邪魔な羽をたくさん持っていることに価値を感じる雌のクジャク。
だからクジャクは他の鳥と違う進化をしたし、特異でおもしろい。
こうして、ぼくの旅行はおしまいです。
当初の予定はニュウヨークに3ヶ月滞在するはずだった。ぜんぜん違うことになってしまったけれど、おもしろかった。
2010年3月18日木曜日
旅行の記録 カッパドキアの続き パムッカレ(犬) ジュマルクズク 日本 おしまい
2010年3月15日月曜日
旅行の記録 カッパドキア
(2008年秋の旅行の記録です)
カッパドキアについた。たぶんネヴシェヒルという町だ。
目的地は、もっと奥のギョレメという所だが、バスの乗り継ぎ待ちの口実でツアーをすすめめられた。
そういうのには興味がないので邪魔だなあと思った。トルコではよくあることだったが、他の国とくらべると押しが強くないので許せる範囲だ。
ギョレメには外国人用の宿がたくさんあった。
ぼくはクレジットカードを持っていないので、いつもアポなしだったがどうにかなるものだ。
洞窟のホテルに泊まった。すごくいい感じだった。食事もおいしかった。パンはたくさんくれた。
もってる服をほとんど全部着た。
宿のスタッフは一人日本人だった。トルコ人のスタッフに覚えたトルコ語を使ってみた。間違えて彼の値段を訊いた。私は高いですと彼は応えた。夜はバックギャモンをしたりした。
山に入ると、次に海外旅行に行く時は野宿できる準備をしようと思わされた。

旅行の記録 Istanbul Turkey
(2008年秋の旅行の記録です)
エミリとサムエルと終点の駅に着いた。
駅で地図を貰った。銀行で両替した。ブルーモスクまで一緒にあるいた。
そこで彼らとわかれた。運が良ければ再び街角で出会うだろうし、あるいは二度と会わないかもしれない。いろんな思いが錯綜した。
ぼくは日本人宿という存在を知っていた。ブルガリアで韓国人旅行者に地図を教えてもらった。そこへ向かった。
地元の男がイスタンブルを案内しようと持ちかけてきた。おもしろそうだが断った。ぼくは一人で歩くのがすきだった。そして彼をすこし邪魔に思った。
その男に目的の宿を教えてもらった。
入り口は閉まっていた。日本語でメモが貼ってある。指示通りにブザーを押した。カギが開いた。
階段の途中に日本の漫画が詰まった棚があった。
一番上の階に行くと日本人がたくさんいた。なんだかとてもほっとした。
とりあえず3泊くらいのんびりする事にした。
ベッドにシーツを付けて、荷物を広げた。
リュックの下のほうから短パンを引っ張りだして着替えた。
壁にロープを貼って洗濯物を干した。
町を歩いた。ケバブを食べた。ビールをのんだ。チャイものんだ。
「さかな、さかな!」と言ってぼくの足元を指差すトルコ人を見た。
バイラムというトルコのお祭りをみた。生きた牛や羊の解体ショーだった。大きな牛の頭をひねってノドをとても大きなナイフで切った。牛が倒れてノドが開いた。切れ目にある穴からブワーっと息と血がでた。顔の方は虚ろな目をしている。体が寝返りをうつと、勢いあまって体と顔がひきちぎれた。
一緒に行ったみんなは撮影していたけれども、ぼくは気持ち悪くなったので、いっかつくんと散歩した。
宿のみんなで銭湯みたいな所に行った。名前を忘れたが天井がドーム状になってる銭湯だった。中は湯気が満ちていて暑かった。体を洗ってもらってマッサージもしてもらった。
外に出てビールをのんでいると、道ばたでビールを飲んではいけないと地元の人に言われた。それで紙袋に入れてもらって隠れて飲んだ。小さい店に入って飲み食いした。子供がこっちを見ているのでアクビルを見せて自慢した。アクビルはトラムのプリペイドシステムの認証キーで、形がかわいいのでデポジットを捨てて日本に持って帰ることにした。
新市街をあるいた。文房具店がとてもおもしろかった。革のノートをたくさんみた。モレスキンは日本よりかなり安かった。
イスタンブルモデルン美術館がすばらしかった。地下のインスタレーションと映像がおもしろかった。現代美術は映像におもしろいのが多い。それはベルリンも東京も同じだなと思った。西ヨウロッパでは映像はおもしろくなかったことを思い出した。
いくつか小さいギャラリーに行った。針金を曲げて参加するインスタレーションに参加した。
イスタンブルはヨーロッパとアジアにまたがっていて、ぼくはヨーロッパ側の旧市街に泊まっていた。アジア側には船で行った。ケバブ屋で食べてると若者が集まってきて話をした。たくさんトルコ語を教えてもらった。
ある日、新しい旅行者が宿に来た時にどこかで見た事あるなあと思ったら、プラハで会ったようすけくんだった。
ぼくが宿泊していた旧市街から新市街へは橋がかかっていてトラムでも行けるのだが、そこを歩くのが好きだった。橋は二階建てになっていて下を歩くと、上から釣りをしている人がさかなを釣ったときにびっくりした。橋のふもとで鯖サンドを食べた。鯖とパンに分けて食べた。スラム街みたいなところで子供に花火を投げられた。絵を描いていたらその子供が来て絵を踏んだ。他の子供がそれをしかると彼は悪態をついて去った。みかんがうまかった。
宿ではみんなにぼくの旅行の話を聞いてもらった。そしてシェア飯というのを知った。1年以上の旅行者が大半だった。ぼくは中央アジアの話やアフリカや南米の話を聞いて、いつか行ってみたいと思った。インドやタイにはあまり興味がなくなっていた自分を見つけた。
宿に寿司職人がいてみんなに、しめ鯖寿司を作ってくれた。それが感動的にうまかった。日本に帰ったらしめ鯖寿司を食べようとこころに決めた。
ある夜、宿で飲んでて興が乗ってきたので、みんなで海に行った。それがすばらしくよかった。この時のメンバーとは今でもたまに東京で会うのだが、みんな旅行中とは印象が違うなあと思う(違わない人もいる)。
ぼくはトルコをもう少しだけ見て日本に帰ろうと決めた。
そしてカッパドキアに行くことにした。
2010年3月13日土曜日
2010年3月8日月曜日
2010年3月7日日曜日
2010年3月4日木曜日
お絵描きした jota
こないだじょーたを描いた。
じょうたを描いたというよりは、じょうたと話しながらぼくは顔みたいな絵を描いた。なにを話したかは秘密だ。
そういえばじょうた教室にかざってあるみさをさんの絵はぼくが描きました。自分で描いたけれどほれぼれするほどうまく描けてる。(だいたいいつもそうだけど)
よくさがすとウェブにもあります。
jota