2010年3月18日木曜日

旅行の記録 カッパドキアの続き パムッカレ(犬) ジュマルクズク 日本 おしまい

(2008年秋の旅行の記録です)

ウチヒサルとギョレメの間にある渓谷がきれいで静かですきだった。
宿で会った旅行者とビールをのみながらそこを歩いた。
彼女は一人ではぜったいにこんな道を歩けないと言った。
男の目が怖いのだと言った。さっきの町も一人では行けないと行った。
ぼくの目は怖くないのだろうかと思った。

ある日、山を歩いた。山と呼ばれていたが樹木はほとんどない。
近づいて触ると確かにそこに在ったけれども、離れてみると実在感のうすく嘘みたいな景色だった。
ぼくの脳が持っていない形と質感だった。

洞窟があって人がいた。
昔の隠れ教会だった。
守り人は、あるワイナリーのオーナーだった。
そして彼が作った白ワインを飲んだ。
ストーブが暖かかった。

最後の夜に雪がふった。
裏山から日が沈むのをながめがていると日本人の男女がきた。
一週間くらい旅行だそうだ。
ぼくの話を聞いて、若かったらそういう旅行をしてみたいと彼らは言ったけれども、彼らはぼくよりも若かった。

早朝にバスがパムッカレ温泉の近くに着いた。
外国人旅行者むけの宿だった。
宿泊料込みのパックツアーを持ちかけてきたが断った。
なぜかほかの旅行者はその提案を受け入れていたのが不思議だった。
ぼくは2時間ほどソファーで眠って、荷物を持って歩き始めた。
外はまだ薄暗かった。

歩いてすぐの所のパン屋さんが仕事を初めていた。
温泉は歩いて行けるとの事だったので歩いていると明るくなってきた。

お土産物屋がいくつか開いていたので入った。
寒かったので、お茶と食べ物をくださいというと、奥に招かれて家族らしき人々と共に朝食をたらふく頂いた。
家族みんなを紹介してくれた。
若者の嫁がとてもきれいだった。
さらにリュックを預かってくれた。
観光地にもかかわらず、客にこんなに優しくしていたらきりがないだろうなあと思ったけれども、なんとかなるものなのだなと妙に納得した。

パムッカレ入り口に行くとまだ開いていなかった。
少し歩いて、座って絵を描いていると犬が来た。
犬に触った。

犬はぼくが描き終わるまで横で丸まって寝ていた。
ぼくが立ち上がると、その犬がこっちにおいでと言った。
人間以外の生きものに話しかけられたのはその時が最初で唯一だった。
ぼくは付いて行った。

犬に付いて湿地を行くとフェンスが壊れていて、パムッカレの敷地の内側に入れる場所があった。
犬はそこで小便をした。
ありがとう、犬。

ぼくはそこから入らずに、さらに山の奥の方へ行った。
家々が見えたから。
ある家から大声でぼくに呼びかけた。なにもいらないよ。

ぼくは村を離れて山を横にまわった。
樹木はなくなって見晴らしがよくなった。
下のほうにパムッカレ温泉の湯気が見える。
野糞をした。

犬くんに教えてもらった入り口から敷地に入った。
広い草原を抜けた。
ギリシャ時代かなんかの遺跡をみた。
石を積んだだけなのにまだのこってる。

温泉の所は観光地だった。
景色は地球のものとは思えない違和感があった。
温泉に足だけ浸かって昼寝した。

バスで町まで戻った。
ピザとビールを食べた。

ぼくが食べているだけで若者が集まってくるのはなんでだろう。
アジア人の旅行者なら他にもいるのに。

夜バスでブルサという町に向かった。
ブルサは作られた観光地だなと思った。
でも、はなしに聞いたジュマルクズクという小さいエリアは素朴でよかった。
素朴だがガメツく商売していて、たくましいと思った。
ぼくが見習わないと行けない部分でもあった。

ブルサのケバブ屋の人と仲良くなった。
ぼくの絵を店に飾ったくれた。

ある日、隣の店の男が来て、ぼくをムスリムにすると言った。
名前はきぼりおよりもキボリが美しいと言った。
イスタンブルでも同じ事を言われていた。
そしてムスタファというムスリムの名前と帽子をもらった。
そうしてぼくはキボリ・ムスタファになった。
アタチュルクや歴史の講義を受けた。

ぼくもこれくらい自国のことを愛せるだろうかと思った。

昼バスでイスタンブルに戻った。
途中バスごと船に乗った。

例の宿(tree of life) に戻るとメンバーが入れ替わっていた。
宿はこうやっていつも人が流れているのだなと思った。
奇跡のような一瞬の出会いもあるだろうなとおもった。
旅行で会う人は、その場限りだから気を使わなくていい、と言った人がいたけれども、ぼくはずっと会いそうな人もその場限りの人も変わらないきがする。

海沿いにお気に入りのベンチがあってそこに座って物思いにふけった。
そして飛行機に乗ってドバイ経由で関空に着いた。

日本には日本人しかいない。
京都に一泊した。
宿でオージー3人と話した。
彼らもアーティストで、bababa international というグループ名で活動している。

同じ日に東京に行く事にした。
夜行バスの切符売り場では英語が通じなかった。
案内板も日本語だけだった。

そのわかりずらさは、ぼくにとってのウクライナと同じくらいだろうなと思った。
日本は先進国なのになんで英語が通じないのかと何度か訊かれたことがある。

東京には笑顔がないなあと思った。
数ヶ月ぶりに労働してみて笑顔がない訳がわかった。
みんな、いっせいにやめればいいのに。
過剰なサービスとか過剰な服従とか。
そんな仮面いらないから人間として接しませんかと思う。

生きるのには邪魔な羽をたくさん持っていることに価値を感じる雌のクジャク。
だからクジャクは他の鳥と違う進化をしたし、特異でおもしろい。

こうして、ぼくの旅行はおしまいです。
当初の予定はニュウヨークに3ヶ月滞在するはずだった。ぜんぜん違うことになってしまったけれど、おもしろかった。