2011年3月22日火曜日

きょうのポエム 「夢漕ぎ」

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朝起きてから顔を洗うまでの間
地下鉄の改札を通ってから車両に乗るまでの間
生まれてから死ぬまでの間
酸ができてから自己複製を繰り返し始めるまでの間
夢を見始めてから夢を見終わるまでの間

正確なファションが小さな世界。
あさはかなクォークと12次元の現実を鏡に映して喰っちまえ。
俺と俺は同一だから図案はなかば観測されたも同然のことだなと西からきた旅人は言った。
永遠に反射する糸電話が100枚の書かれた椅子になっている時、箱の一方に小さな小さな小人が走る。
再利用できる秋の星座はアフリカ象を世界一。
ダム。
電気を起こすために雄がたまごを口の中に入れて敵から守る。
地球という世界に山や谷、山脈や平地、海などがある。
実際の距離を日本で最初の動物園では、およそ1300年前に後ろに飛んだ。
厚い氷で覆われた本を開け。

2011年3月17日木曜日

あした3月18日(金曜日)カフェドロ

あしたの夕方から夜、人形町の三日月座でカフェドロします。(カフェでドローイング)

参加自由(汚さない画材持ち込み自由 ペンとかえんぴつ)
17時半くらいから20時過ぎくらいまでかな。

ちなみに3月いっぱい、このカフェの壁にぼくの絵を展示しています。
最近作です。

作品の値段の4割を日本赤十字社を通じて被災地組織に寄付することにしました。

2011年3月15日火曜日

生きてます

ぼくは今だいじょうぶです。
被災してない東京で一番こわいのは放射能と集団パニック。
自分もそうなるかもしれない。
ぼくとしまやんは朝出勤する時はいつも、二度と会えないかもしれない前提で互いを送り出してきました。以前大事な人が死んだときにたくさん悔いが残ったから。
悔いのないように生きたいです。

March 15 11:00 2011
I am OK in Tokyo now.
Tokyo is damaged a little.
Metro is working half.
Markt open. a few goods.
Nuclear in north of japan. and now North wind.
this is west tokyo's Geiger Counter. Someone is measuring and auto-updating.
http://park18.wakwak.com/~weather/geiger_index.html

2011年3月14日月曜日

俺!

じしんとかほうしゃのうとかおっかないね。
でもだれかが、しにいたるやまいはぜつぼうであるといった。
そのひとはぜつぼういがいではしにいたらないのだといった。
ぜつぼうのみがしにいたらすのだそうだ。
それならばおれはとくいぶんやだ。おれー!

2011年3月6日日曜日

展示をします

3月11日〜31日まで人形町の三日月座というカフェの壁に展示をします。

3月25金曜日の夜に五十嵐あさかさんがチェロソロの音楽をしてくれます。
ぼくが最近の青い抽象画を描くようになったきっかけの作品を演奏してくれます。

時間は未定ですが、19時半か20時くらいにスタートしたいと思っています。

その前後は確実にぼくはカフェにいるので、どうせならその頃見に来てくれると会えてうれしい。

期間中ぼくがカフェに行く時はツイッターでその旨つぶやくのでよかったらご一緒してください。カフェだけどお酒もあります。作品が気に入って買える値段だったら買ってほしいです。

ここカフェのおかげでぼくは人形町を大好きになりました。

2011年3月4日金曜日

鳥の名前

こどものころ、父さん(ひでおみちゃん)によく水戸や笠間の美術館につれてってもらった。家族で旅行するときは母さん(ひろこちゃん)がいつもイライラした。おむすびとかお弁当はおいしく感じた。

ひろこちゃんは足が痛いから山にはのぼらなかった。ひでおみちゃんはよくぼくを山につれていった。火は四角いカセットコンロだったし、靴もスニーカーだったけれど、ぼくは山を好きになった。一度遭難しかけて、避難小屋を探しにいったひでおみちゃんを何時間か孤独に凍えながら、つぶれたテントの中で待った。寒くて眠れないのにいつの間にか寝ていた。朝、太陽はすごく良かった。太陽は月よりもずっと遠くにあるけれど、ぼくの顔を暖めた。
 那須の山を超えた向こうに宿があって、温泉に白人の女の人がまっぱで入っててドキドキした。

おとなになってから一人で山に行くようになった。一人はすごくいい。山の中でどこに行くのも自分で決められた。でも夜は恐ろしかった。暗闇をはじめて知った。音や匂いからいろんな想像力がかきたてられた。そんな時、火は良かった。特に焚き火は良い。燃やすとすごくいい匂いのする木もあった。火を見ながら考え事をするのが好きだった。焚き火はミニマムな建築だと思った。空気の粘りを知らないと小さい焚き火は維持できなかった。大きい焚き火は簡単だ。何種類かの鳥の声を聞き分けられるようになった。鳥の名前は知らない。
春や夏の山にはたくさんいろんな植物を見た。
それらにはきっとそれぞれに名前があるんだろうけれど、名前をつけられるずっと前からその植物は存在している。

2011年3月3日木曜日

世界の

部屋を掃除してると昔のいろんなものがでてきます。
なつかしいCDとかマンガとか本とか。
本にはなん種類かあります。

1.すごく好きで何度も読んでボロボロになって装丁を見るだけでうっとりできる本。
2.おもしろそうで買ったけどちょっと読んだらそうでもなかったから古本屋にいつか売りにいく本。
3.おもしろそうで買ったけどちょっと読んだら難しくていつか読もうととってある本。
4.中身を読む気はないのだけど持ってるだけで満足な本。
5.だれかに借りてだれのかわからなくなってしまって捨てるに捨てられない本。

要らない本をみてると自分がいちどは興味をもったんだなと過去の自分が他人のようです。

本屋さんに行くと、一生かかっても読み切れないくらいの本があります。ぼくは読むのがおそいです。読むべき本は少ししかない。

紙メディアは衰退してるだろうか。
将来、紙メディアはほとんどなくなるのかもしれないけれど、現時点でぼくには必要だ。
本のタイトルと容量のリストやスニペットよりも、背表紙とその厚みと汚れの方がたのしい。
厚みや手触りが本の内容の記憶と関連付けられて格納されてるっぽい。

でも忘れたくなくてときどき読み返したい本がある事を知った。