2010年6月27日日曜日

ある日古い友人と美術館で見たおもしろかったものと気持ち悪かったもの

おもしろかったものは絵だったし、気持ち悪かったものも絵だった。
まずおもしろかったほうから。

定規で引いたような線には興味がないのだが、それは100号くらいの直線的な青い抽象画で、線は全て平行だった。
フォトショップで加工してすぐ作れそうな、こんなつまらない絵をなんでわざわざ描くんだろう。

なんでだろうと少し考えた。
近くでよくみると定規で引いたような線だけれども、マスキングテープを剥がしたような、絵の具の厚みを見た。
塗りもびっちりじゃないし、ところどころ線を引き直したあともある。

こういうのは、フォトショップで加工して出力してもぜったいに出せない味だと思った。
もしそういう作品だったら、こんなに長い時間見ないと思う。

そういうことを思いながら見ていると画面が、急に空間を提示してきた。
青黒い柱が6本くらい立っているところに奥から霧が流れてくるところだった。

画面の黒が巧妙に働いて、そう見える。
もちろん作者がそのように見えることを想定して作ったかどうかはぼくには関係がない。
最初の印象に反して、いろんな言葉を使ったのでおもしろかった。
波多野と一緒だったからというのもあると思う。

あと、でっかい陶器もよかったが、これはなにがどう良いのか言葉にするのがむずかしい。
かっこつけてなくて、あたりまえで。でも機械的ではなくほどよい人間味だからか。
でもそれはすべての魅力的なものに当てはまってしまうかな。

それから、気持ち悪かったもの。
それも絵だった。

その絵の気持ち悪さは、まずデッサンの微妙さだった。
おもいきり崩れているならいいのだが。
古のイタリアあたりの巨匠もそうだが、その微妙さで気を引くとか、そういうのをねらってるのだろうか。たしかに気は引かれた。

もしかしたら、別々にデッサンしたものを一つの画面に構成する時に起こりやすい現象なのかもしれない。

タッチもちまちましていて苦手だ。
構図に関しても、なんとか展に応募しそうだった。
犬が描かれていて、そこだけ塗りが浅い。何一つ良いところが見つからない。
絵画教室に通うプライドだけ高いおばちゃんが描いてそうだ。
それを笑えるようになったららくちんだろうなあ。好きになれない。

結局、好きな作品はほとんどなかったけれど話をするのは楽しい!!
美術ってそういう使い方がよいと思います。
好きな作品だったら話をしなくて眺めているだけで、にやにやしちゃうよね。