2010年8月18日水曜日

人はなぜ描くのか

ぼくは褒められたいから描くと思っています。
人に聞かれたらそう答えるよういしています。

そしてぼく以外の描く人も各自が自覚する「描く理由」をもっているとおもう。それらは言葉にするとまったく違う事に聞こえるはずだけれども、すべてを説明できるような、統一できるような、もっと根源的な原因があるような気がしてるので、井尻さんにお願いして哲学カフェ「人はなぜ描くのか」をやってみました。

結果ちょびっとだけ核心に近づけました。
一人で考えていても、浅いところをぷかぷかしているだけのような感じがします。それに、参加した皆が一人では到達できない地点を求めていたかどうかは分からないけれど、漠然とそういうような何かを求めていたんだと思う。

だれかが言葉を言うと、ぼくの考えがまとまったりします。
キーワードが集まると前よりも理解したきぶんになりました。

今回はじめて哲学カフェに参加してみて、新たに生まれた疑問は、言葉で考えるのだろうか?ということでした。以前だれかがそんなことを言っていたような気もします。だとすると言語の構造は、思考の過程にものすごく影響を与えることになるから、民族による考え方の違いとかもその事と照らし合わせて調べてみるとおもしろそうです。

それとも、言葉じゃなくてぼけーっと考えている(感じている?)事に近い言葉と出会った時に、考えているという事と考えている内容を自覚できるのだろうか。

ということは、言葉に当てはめる前は考えているというよりも感じていると言った方が近いような気がしてきました。

今、急に繋がったのだけどその、言葉になる以前の感じていること、の中の何かがぼくに絵を描かせているような気がしてきた。それはそれと近い絵になってぼくに見られた時に初めて、それを考えていたという事と、その内容を自覚できるチャンスなのかもしれない。

あるいは、それは自覚されずに最初のきっかけとして働いて、違う絵ができあがるのかもしれない。

ここでいう、「それ」に名前をつけてあげたい。言葉になる前の自覚されていないから考えてるとも言いがたい何かに。

きっとこういうことは、シュタイナーくんとか、誰かとかがすでに考えて発表していることだと思う。
どういう名前をつけたんだろう。

......つまり絵は言葉だ。