フランスの国営ラジオで放送した講演の為の原稿の日本語訳。放送はメルロ本人が話しているらしい。
ラジオだからか、細部につっこまないで全体をわーっと早歩きで見せるかんじだった。
原稿の訳:訳者解説が1:3くらいあるから詳しく知りたいところはなんとなく知れる。
なんで絵を描くのかたまに考えたりするけど、それに関するいくつかのキーワードが集まった。
原稿が話し言葉だからなのか他の哲学の本と違って言葉がわかる。言葉はわかるけど理解してないところたくさん残ってる。もういっかい読んでみる。
哲学の本の翻訳でいつも思うけど、もっと簡単な日本語に訳せなかったのかなあと思う。意味が少し違ってもかまわないからぼくにもわかる日本語で書いてくれるとたすかる。そういえば永井均の日本語は読めるということを思い出した。
ぼくにとって価値のある本はぼくに読める言葉で書いてあることが最初の条件だとおもった。読めない言葉でかいてあっても他の何かの価値があるかもしれないたとえば見た目に美しいとか。まあいいか。
知覚に関して哲学の人たちは、画家の「描く」ということを持ち出す時は、だいたいがなにか対象を見て「描く」ことについてに限っているような気がする。そうじゃない描き方もあるとぼくは思う。知覚したものを描くだけなのだろうか。メルロはこの本の中で一度だけ抽象に関しても同じだととれるような言い方をしている。その辺が気になってしかたがない。彼の時代には抽象が今ほど普通にあるわけじゃなかったんだろうな。描く事と知覚する事は必ずしも、そうだ、必ず関連するじゃないか。なるほど。びっくりした。今気がついた。やっぱりもう一回よんでみる。

知覚の哲学 ─ラジオ講演1948年
モーリス・メルロ=ポンティ 著 , 菅野 盾樹 翻訳
ちくま学芸文庫
2014年9月24日水曜日
読書感想文 知覚の哲学 ラジオ講演1948/メルロ・ポンティ