(2008年秋の旅行の記録です書き残した続き)
カミヤネツ・ポディルスキ。
古いカメラが好きなぼくにはたまらないウクライナ。首都キエフでソビエト時代にカメラをつくっていて大好きなカメラなのです。
外国人が国定ホテル以外に宿泊するときは前日までに警察に届け出なければいけない法律があるらしい。
しかたなく、うさんくさいけれどタクシーの運ちゃんに駅の上のホテルまで連れて行ってもらった。シャワーは水だった。
夜まっくら。街灯はない。
店でワインとピスタチオみたいな豆を買ってホテルに戻った。
スタッフは予想通り、すごく愛想が悪い。
この国のお札はどれもボロボロだ。
そしてワインもひどかった。あまりのまずさに少ししか飲めなかった。ワインじゃないのかもしれない。
翌日、ビール散歩した。
木作りの教会と男と女を見た。結婚したらしい。
知っている限りの英語でコミュニケーションをとろうとしてくれる人に会った。
城を見た。
渓谷を見た。
丘のむこうはみわたすかぎり草地だった。
畑をあるいた。
民家の煙突から煙が出ていて練炭のいい匂いがした。旅行の匂い。
市場を歩いてたら人だかりに囲まれて、カザフスタンとかチベットとかキルギスとか言われた。たぶんぼくの出身地を当てようとしている。
じゃぱん、とぼくが言ってもあまり知られていないようだった。発音が違うのかもしれない。やぱねる、とかやーぱんとか、うーぱんとか言ってみた。
一人わかる人がいてウラジオストクとその人は言った。
ぼくは、近くだねと言った。
あとで知ったのだが、チェルノブイリはウクライナにあるらしい。そういうのもあってか、以前から不思議とぼくが興味をもっているのかもしれない。ぼくは電力が好きなので発電にも興味がある。原子力発電の危険と便利という矛盾した世界で生きています。
戦争で壊れたものをそのままおいてあるっぽい(想像)公園を歩いた。
ドイツではケバブとビールだったけれど、ウクライナではピロシキ(だとおもう)とビールが合う。
このころにはビールのふたを手で開けられるようになっていた。
駅にあるコーヒーの自販機に、勇気を出してコインをいれてみた。ものすごくうまいコーヒーがでてきた。
2009年12月5日土曜日
旅行の記録 Kamianets'-Podilskyi
旅行の記録 ウクライナのある町 a town in Ukraine
(2008年秋の旅行の記録です)
そんなわけで、どこかの町についた。
宿を見つけて(高い)ぶらぶらすると、ピザ屋をみたので入ってみた。
若者や家族がたくさんいて、皆あからさまにぼくに興味を示している。
外人がめずらしいのか、ぼくの帽子がステキすぎるのか。
町を歩くと、あまり好みではない。
次の町は、カミヤネツポディルスキ。
かなり良さげな予感がしていた。
旅行の記録 Lvol
(2008年秋の旅行の記録です)
ルヴォブ?
リビブ?
読めない、、。、
すべての文字はキリル文字で表示されていた。
〜〜〜ここからバスの愚痴〜〜〜
夜行バスはエアコンが壊れてるし窓も開かないので地獄のような暑さだったにもかかわらず誰も文句を言いに行かないのは、共産主義的な与えられたものを受け入れる民族性なのかなと、いらいらしながら考えた末に、ぼくが運転手に言いに行った。英語が通じないので、ジェスチャーと日本語で暑い暑いというと、運転手はエアコンのスイッチらしきものを指差して No No とのたまうのだった(運転席の窓は少し開いていた) ああ、中国みたい、、。、
ポーランドからウクライナへ入る国境で、真夜中に2時間以上待たされた。ロンリープラネットによると日本人はヴィザがいらなくなったばかりだけど、だいじょうぶだろうか。田舎すぎて情報が行き届いておらず、入れないということはないだろうかと、だんだん心配になってくる。
このバスにぼくいがいでもうひとりバックパックの男がいたので話しかけてみた。この辺りの国境はこんなもんだろうと彼は言った。ロンプラの英語を読み間違っていないか心配なので、読んでもらった。うん日本人はヴィザなしで大丈夫だって。よかった安心した。
次の町の名前の発音はどっちでもOKだと彼は言った。おそらく、ロシア語読みと現地読みとか、そういった違いなのだろうか。もしかしたら悲しい歴史があるのかもしれない。そういうことを刺激してもめごとになるのは避けたいと思った。
〜〜〜ここまでバスの愚痴〜〜〜
町に着くと、まず走っている自動車がすべてものすごくステキだった。
そしてあちこちで工事途中のままになっている。
そしてキリル文字が全く読めないので非常に困った。地図でつぎの町を決めても発音できない。バスか電車か何時に出るのかいくらなのか、まったくわからないので、これはもういろいろあきらめて、楽しもうと思った。
中央公園(と名付けた)のベンチに座っていると、むこうから悪そうな若者がビール瓶片手に早歩きで近づいてきて、ぼくのとなりにあるキリスト像の前で十字をきって去っていった。
駅前でみんな小さなおかねを渡して、何か食べ物を買っている。ぼくもまねして買ってみた。値段がわからないので、お金をわたして、お金と商品を受け取る。
どうやらピロシキだ。うまい。
市場も、西ヨウロッパのそれとは違って、アジアで見たものと近い。エンジンの部品や衣料品、生肉、なんでもうってる。ぼくはよく市場で石けんを買う、よくなくすから。あとボールペンとノートを旅行の記録用に。でもここから先は筆談用になりそうだと思った。
歩いていたら長距離バス乗り場らしき所に出た、情報を集めた。
キエフ?(ウクライナの首都)とよく訊かれたが、ぼくは小さい町に行きたい。
でも行きたい街も知らないし、知っても名前も発音できないので、こまった。
そして、外のベンチの人に、地図でてきとうな町を指差して、読んでもらって、チケット売り場でその発音を言った。ここでもお金を渡して、お金とチケットを受け取る。時間が書いてある。たぶん出発時間。確認しようと思ってもめにもめていると(ご存知かもしれないが共産主義国および旧共産圏のチケット売り場の人はみんな怒り狂っている)、どこからか美しい女の人が来てチケットを読んでくれた。ありがとう。
時間があるので、キンコーズみたいな所を探して、奇跡的に見つけて、めちゃ高額でNYのレジデンスに応募するためのCD-ROMを焼いて、郵便局で送ろうとしたら、書類とCD-ROMは一緒に送れないといわれたり、めちゃくちゃ大変だった。
そして、どこにいくのかバスに乗った。
旅行の記録 krakow
このところ寒いので去年のヨウロッパ旅行を思い出します。旅行の記録が途中だったので、写真の保存のためにも続きを書いておきます。
右のほうにラベルを追加しました。そのなかの travel に旅行の記録がまとめてあります。
というわけで、クラコフについたわけです。travel is trouble です。
ポーランドについてぼくはほとんど何も知らなかった。物価や相場もわからない。だまされないようにしよう。
今まで訪れたの国とは違ってここは知らない国だった。バスの駅の近くに、ゲストハウスがあった。英語が通じてスタッフも明るいのだが、なぜかその明るさが嫌だった。うその明るさに見えた。ブニク(ユトレヒト)のユースで感じたのと似ている。
英語のガイドブック(ロンリープラネット)を解読(辞書もってないので難しい)すると、ここは観光地のようだ、それは城壁に囲まれているらしい。
ひとりの男が英語で話しかけてきて、うちの宿に泊まらないかとすすめてきた。これは西ヨウロッパではなかったことなので、そういう地域にきたのだなと、少し身構えた。泊まった日本人も喜んでいたよと日本人旅行者の直筆推薦文をもっていた。その内容は、よいこととわるいことと両方日本語で書いてあって、どうやら真実らしかったが、その場を離れた。
遠くに巨大なデパートをみた。
いくつかの銀行を回って通過の価値を決めた。
城壁の近くのアパートの一室に宿を決めた。
4部屋くらいを管理しているらしい。そこの受付の女が美しかった。いつもにこにこしていてやさしくて、はにかみ顔で、ぼくのことを好きなんじゃないかってかんちがいできる。
他の部屋はがら空きだった。中庭に面して古い椅子がおいてあって、そこでコーヒーをのんだ。
ずっと雨が降っていたが散歩した。
見慣れない食べ物をたべた。甘いパンにみえるけれど、固くて味がしない。
城へ行った。
城壁のあたりはゲームの中みたいだった。夜、弦楽四重奏を聴きに教会へ行った。
夜霧の中で家の窓や街灯がぼんやりと光った。
いつものようにケバブとビールが食事。
次にどこに行くかすごく悩んだすえにウクライナに入ることに決めた。そこから南に下ってイスタンブルか、行けたらインド、バンコク、日本というルート。あるいは、お金や気力が許すならイスタンブルからシリア、イスラエル、エジプト、日本というルートもある。
とにかくウクライナ側の国境近くの町にいくことにした。
