2009年12月5日土曜日

旅行の記録 Lvol

(2008年秋の旅行の記録です)

ルヴォブ?
リビブ?

読めない、、。、
すべての文字はキリル文字で表示されていた。

〜〜〜ここからバスの愚痴〜〜〜
夜行バスはエアコンが壊れてるし窓も開かないので地獄のような暑さだったにもかかわらず誰も文句を言いに行かないのは、共産主義的な与えられたものを受け入れる民族性なのかなと、いらいらしながら考えた末に、ぼくが運転手に言いに行った。英語が通じないので、ジェスチャーと日本語で暑い暑いというと、運転手はエアコンのスイッチらしきものを指差して No No とのたまうのだった(運転席の窓は少し開いていた) ああ、中国みたい、、。、
ポーランドからウクライナへ入る国境で、真夜中に2時間以上待たされた。ロンリープラネットによると日本人はヴィザがいらなくなったばかりだけど、だいじょうぶだろうか。田舎すぎて情報が行き届いておらず、入れないということはないだろうかと、だんだん心配になってくる。
このバスにぼくいがいでもうひとりバックパックの男がいたので話しかけてみた。この辺りの国境はこんなもんだろうと彼は言った。ロンプラの英語を読み間違っていないか心配なので、読んでもらった。うん日本人はヴィザなしで大丈夫だって。よかった安心した。
次の町の名前の発音はどっちでもOKだと彼は言った。おそらく、ロシア語読みと現地読みとか、そういった違いなのだろうか。もしかしたら悲しい歴史があるのかもしれない。そういうことを刺激してもめごとになるのは避けたいと思った。
〜〜〜ここまでバスの愚痴〜〜〜

町に着くと、まず走っている自動車がすべてものすごくステキだった。
そしてあちこちで工事途中のままになっている。
そしてキリル文字が全く読めないので非常に困った。地図でつぎの町を決めても発音できない。バスか電車か何時に出るのかいくらなのか、まったくわからないので、これはもういろいろあきらめて、楽しもうと思った。

中央公園(と名付けた)のベンチに座っていると、むこうから悪そうな若者がビール瓶片手に早歩きで近づいてきて、ぼくのとなりにあるキリスト像の前で十字をきって去っていった。

駅前でみんな小さなおかねを渡して、何か食べ物を買っている。ぼくもまねして買ってみた。値段がわからないので、お金をわたして、お金と商品を受け取る。
どうやらピロシキだ。うまい。

市場も、西ヨウロッパのそれとは違って、アジアで見たものと近い。エンジンの部品や衣料品、生肉、なんでもうってる。ぼくはよく市場で石けんを買う、よくなくすから。あとボールペンとノートを旅行の記録用に。でもここから先は筆談用になりそうだと思った。

歩いていたら長距離バス乗り場らしき所に出た、情報を集めた。
キエフ?(ウクライナの首都)とよく訊かれたが、ぼくは小さい町に行きたい。
でも行きたい街も知らないし、知っても名前も発音できないので、こまった。

そして、外のベンチの人に、地図でてきとうな町を指差して、読んでもらって、チケット売り場でその発音を言った。ここでもお金を渡して、お金とチケットを受け取る。時間が書いてある。たぶん出発時間。確認しようと思ってもめにもめていると(ご存知かもしれないが共産主義国および旧共産圏のチケット売り場の人はみんな怒り狂っている)、どこからか美しい女の人が来てチケットを読んでくれた。ありがとう。
時間があるので、キンコーズみたいな所を探して、奇跡的に見つけて、めちゃ高額でNYのレジデンスに応募するためのCD-ROMを焼いて、郵便局で送ろうとしたら、書類とCD-ROMは一緒に送れないといわれたり、めちゃくちゃ大変だった。
そして、どこにいくのかバスに乗った。