2012年10月29日月曜日

メモ

A1-OSJ
モノラルパワーアンプ20w
ルーパー
ディレイ
プリアンプ(コンプレッサー、オーバードライブ)

モノラルピンジャック
ピンプラグ(オスオス)
機械スイッチ


配線
半田

低音ブースト用の何か。
ノイズゲート

わくわくするよね

2012年10月28日日曜日


こないだしまやんと散歩した。 阿佐ヶ谷の北の方。

2012年10月18日木曜日

無題

音楽。
純粋に音を楽しむことと、演奏を楽しむことは別だとおもった。
たとえば、空気。

最近PCで作られたような音楽を密閉式イヤフォンで聴くとどこにも空気が入ってないからなんか変だという意見を聞くことが増えたけど、ぼくはそういう音に好きなものが多い。頭の中で鳴っているような、耳かきが届かない奥をこちょこちょされているような気持ち良さがだいすきだ。

それと生楽器の演奏を楽しむときを比較してみると、演奏を楽しむことは純粋に音だけを楽しんでいるわけではないことがわかる。
宇宙に良い悪いはない。好き嫌いしかない。
ぼくはどっちにも好きも嫌いもそのあらゆる中間もある。
2012年東京。不自然なものは何か。人間は自然だろうか。
白と黒の間のすべての地点の可能性の中で、俺のグラデーションは有色で原色。

読書感想文 孤独の発明/ポール・オースター

ポール・オースターの孤独の発明を読んだ。タイトルがすごくいい。
つまらん。
50ページくらいでよむのやめた。
次1Q84読む。

さいきんのバイト先のメンバーがみんなというか半分以上、小説を読む人なのでたのしい。しかもけっこう趣味があいそうだ。ぼくは小説をよく読むようになったのはさいきんだけど、みんなくわしい。村上春樹、ポール・オースター、カポーティあたりの話題になることがある。ジャックケルアックがつまらんことで一致したのはめずらしい。そういう好き嫌いは嘘ついて相手に合わせても意味がないのでみんな自由に自分を表現できるのがいいとおもう。だれも傷つけない。タンブラーとかついたーのRTとかfacebookのshareとかはそういう感じだとおもう。身近なだれをも傷つけないで簡単に自己表現できる。でもぼくがやりたいのはそういうんじゃないしぼくが見たいのもそういんじゃないっていうことはわかってもらえてるとおもう。たとえばDJっていう立場。他人の作品を並べることと作品をつくることは何かが違う。経済まわすのはその方がてっとりばやいのかもしらんけど、おれはやらない。とはいえ俺も他人がつくった絵の具を筆で並べてるだけなんだけど。五十歩百歩ってこういう時につかうんだろうか。つくるってなんだろう。土で家をつくることは上記の矛盾からの解脱。土はだれがつくったんでもない。そうだとしても俺は俺の原色を塗る。

その後、1Q84は四冊組で途中から買ってしまった。なので孤独の発明をしかたなく持ってバイトに向かう電車に乗った。これはオースター家の記録で名前の似た登場人物がたくさんでてきて混乱して読みずらい。

そういえば以前は、小説は作り話しだから読んでも意味がないとおもっていた。それはとくに推理小説っていうやつはどうせ全部つくりばなしだし、さいごに謎が解けるんだが、そのなぞは作者がにぎってて、なんかどうでもよくなっちゃってあんまり小説をよみきったことがなかった。でも、村上春樹の小説を読んだときにそういう不快感がなくてすごく気持ちよかった。こういうのを透明感ってみんなが言ってるんだろうか。透明感が比喩としてどういう意味を持つのか、ぼくの経験では例文がすくないのでまだよくわからない。

たくさん小説を読んだわけじゃないけど、村上春樹とポール・オースターはそういう部分が似ていると思った。特に偶然の音楽(オースター)は村上春樹の中でもちょうどぼくがだいすきな雰囲気だった。ぼくがこういう小説がすきだっていう話しをしたらカポーティをすすめてくれた人がいる。いつか読んでみようとおもう。あとカフカの城もすすめられて試したけど読みきれなさそうだった。さいきん心地いい文に飢えてる。北園克衛みたいな詩も読んでみようかと思い始めている。詩の方が純粋に文を味わうことができそうだ。文界のミニマリズムだな。おれきっとそういうのがすきなんだな、とおもった。

2012年10月14日日曜日

読書感想文 ポール・オースター

ポールオースターの偶然の音楽を日本語訳で読んだ。すごかった。
どうすごかったんだろう。わからない。
とにかく言葉がするすると入って来て映画を見ているみたいだった。文字を追ってることを忘れてた。主人公の斜め上から俯瞰してた。ときどきは主人公目線だったりもした。
おもしろかった。

幽霊たちも読んだ。
こっちはそれほどでもなかったけど、電車の中で読むにはちょうどよかった。

2012年10月8日月曜日

読書感想文 天空の絵描きたち/木村友祐

木村友祐の天空の絵描きたちを読んだ。ぼくははじめて文字だけの雑誌を買った。目次がなかなかみつからなかった。木村さんはバイト先の先輩だ。タイトルを見て、俺の話しかなと思ってよんだ。

これをよんで窓掃除の仕事がもっとすきになってしまった。そうならないように距離を置いていたけれど、好きな仕事だと自覚した。読む前より読んだ後の方が前向きに労働できるきがした。うれしい。登場人物が多くて名前を覚えられなかった。控え室の描写がおもしろかった。じょうずに魅力的に文字にするなあとおもった。
彼の前の小説、海猫ツリーハウスは 主人公にまったく共感できなかったし暗い感じだったけれど、今度のこれは前向きですごくよかった。海猫は主人公じゃない登場人物がすごく魅力的でよかった。

木村さんのひとつ前に中原昌也っていう人の文章があって、それも不思議でおもしろかった。あとボアダムスの山本精一さんの文章もあった。彼の文がすきで10年以上前だけどギターマガジンをよく立ち読みしてたな。ぜんぜん音楽の話しじゃなくて、文章の最後に今月の一枚みたいな感じでアルバムが紹介されるでもなく載ってた。こんな文字だけの雑誌は読まないだろうなと思って気にせず38年生きて来たけど、以外とその雑誌はおもしろかった。ペリカン時代のますちゃんは、その雑誌を文芸界の少年ジャンプだと言った。わかりやすい。

木村さんの過去の本を読んだ人に何人か会ったことがある。よくいくペリカン時代っていうバーには、そういう文学の人とかたくさん居そうだ。魚雷さんや千さんにもそこであったことがある。そういうぼくの関わってるあっちの社会とこっちのコミュニティが木村さんの本で繋がっていておもしろくて不思議な感じがする。ぼくの絵もそういう壁を超えるといいなあ。

2012年9月30日日曜日

また石巻に行ってきた

鮎川小学校の教室のペンキ塗りをした。たいへんだった。

疲れたけど夕日はいつもきれいだ。

りょうが餃子を三枚食べた。

おにぎりつくってくれた

みんなで床に絵を描いた。たのしかった。きょうとうせんせいがおこってあやさんがあやまった。ぼくはこどもの服をひとつ洗った。

いい字だ

えびすさんに針やってもらった。ずーんときた。きもちいいというわけではないけど後で効果があるのだろうか。

つかちゃん

うんどうじょうにいった。散歩したりかべをのぼろうとしたり、間接を極めたり絵を描いたりくるまを誘導しようとしたりした。

きのこがいっぱいはえてる。

まつおばしょうっていう人が歩いたみち。

奥松島にいった。

月浜にいった。



縄文土器は前期と中期にすごい違いがあるけれど、違う民族だろうか。

小学校の看板

お昼ねするつかちゃん

えびすさんとたこ焼きにいった。大阪の人が焼いてた。たくさんいろんな話しをした。

酔っぱらった。

石巻は人口に対するスナックの数率が日本一高いらしい。