アコースティックギターのエレキ化に成功しました。
27mmの圧電素子(ピエゾ素子)二枚を並列にしてモノラルのパッシブ出力です。ブリッジ裏1弦と6弦の外側に一枚ずつ張りました。
自作のプリアンプ(無駄にディスクリート!)からmacのgaragebandで録音できる。
自作する時間があるなら、その時間バイトして買った方が早いし安い。それでもぼくは自分で納得したいというめんどくさい性格ですね。
プリアンプに位相反転回路を組み込めばスタジオでも使えそうなきがする。
ナイロン弦を張るためにブリッジピンの下で工夫しました。鉄弦はどうも苦手だ。
それで、こんどコクテイルでやる三人の展示のための作品にこのことが強く影響しています。おたのしみに。
tt-40 tiny boy ピエゾピックアップ自作
メモ:ギター内部配線はカナレのGS-3
エンドピンジャックは使っていない。それには厚みの制限があるけど計れないから。
理屈どおりにうまくいった。
2014年6月21日土曜日
ギターのエレキ化
2014年6月15日日曜日
アート、ジャズ、哲学。
質問して答えを聞く気がない人。質問されただけで怒る人。質問に対する返事が答えになっていない人。質問された時返答せずに、返答に対する意見を最初に述べる人。質問をされて、考える時間が長過ぎて質問されたことを忘れる人。質問と答え。たのしい会話と事務的な会話の違い。など。
ぼくにとってはあたりまえのことが、ほかのだれかにとっては当然まちがっていることがあってもちろんその逆もある。何かをつくっている人がよく陥っているのを見かけるけど語の定義に終止していることに。つくられたものが人間の社会でなんていう名前のカテゴリーに分類されようとも、つくった人にもつくられたものにもなんの問題もないと思うのだが、アートはこうでなければいけないとか、そういうこと言う人むかしはもっとたくさんいたなあと思う。そういえば哲学っていう語に疑問を感じるようになってきたんだけど、ぼくにとって哲学は分析哲学のことだった。けれどその語の使い方をみているとまったく分析していないことの方が多く見える。ぼくがやりたいのは分析哲学という名前のカテゴリーに分類されるようだ。知らなかった。もしぼくがやりたいことに先立って哲学という語があらわすものをやりたいのであれば、分析哲学だけでは哲学に足りないので幅をもっと広げるべきだろうけれど、もちろんぼくは哲学という語の定義に興味がないのでやらない。社会に対していままで哲学と言って来たところを分析哲学と言い換えるだけだ。アートという語も同じようなことになってそうだ。ぼくがつくるものがアートじゃなくてもだれも何も困らない。なんと呼んでもいい。哲学の名のもとに踊る人もいるわけだし、それをやっている人にその語を使う事にいっさいの躊躇がないのならば(ないところまでもっていけているのであれば)なにをなんと呼んでもいいようなきがしてきた。スティーブライヒやリゲティもクラシックという名前のところに分類される。けれど経済に絡むとそうも言ってられなそうだ。
2014年6月11日水曜日
もの忘れならぬ順番忘れ
最近、自覚症状がでてきたのだがもしかして前からこうだったのだろうか。そんな気もする。そうぼくは出来事の順番を覚える事が苦手です。苦手というか過去の出来事の順番がまったくわからなくなります。ただそういうことがあったという事は覚えているけどどっちが先に起きたのかとか、本当に不思議なくらいわからなくなります。この症状で他者にどのような迷惑がかかるかまだ想像つきませんがもしぼくのそういった記憶の順番に関することでご迷惑をおかけしてしまうかもしれないので先にあやまっておきます。ごめんなさい。よし。これで順番を忘れられる。
2014年5月24日土曜日
世界の支配者
もしぼくが地球上の人類世界のしくみを全部把握して支配する者なら、おなじような能力を持ちそうな若者は早い段階でなにか特定の専門分野に閉じ込めて、ぼくの立場を脅かされないようにするし、風評をコントロールしてぼくの体制に反対するようなことをかっこわるいことにする。哲学に興味を持つ者は、世界のしくみに到達する可能性が高いので、特に哲学には専門分野を細分化して簡単なことを複雑に解りにくくした偽学問をたくさん用意する。アートという枠もそこに隠して反体制のメッセージを広める可能性が高いので風評をコントロールしてそういうものを排除する。数学や科学は支配者たるぼくに無害なので特に奨励する。優秀な民族にはぼくの(世界の支配者の)国語をいいかげんに教えて世界に到達しないようにする。教えないよりも教える振りをして学べない状況をつくるほうが効果的だ。下々の民どもはインターネットを情報の自由化だとおもってくれてるのでコントロールが楽だ。
もしぼくが世界の支配者だったらそのように考えるとおもう。
2014年5月18日日曜日
パン屋さんち
こないだパン屋さんちに行った。
パン屋さんというはかずよちゃんのことだ。のぶくんとかずよちゃんちという意味だ。
パン屋さんは桐生くんの姉ちゃんだ。
もりおかりんとまっきーもチャリで来た。
うまい野菜と鶏肉をたらふく食べて、近くにできた古道具屋にみんなで行った。ぼくはクラシックギターがほしかったけどないので先に帰っておしっこ出して昼寝をした。
長靴のグラスはつま先を上にして飲むとゴボっとなってビールが顔にかかる。つま先を横に向けるとじょうずに飲める。
追記:もりおかちんがモヒーチュウという飲料を発明した。焼酎を炭酸で割って、パン屋さんちの庭に自生してるミントの葉っぱをいれるとモヒーチュウ。おれ気に入った。
2014年5月17日土曜日
仕事と友だちと友達価格について あるいは愛
ぼくは友だち相手に商売はしたくない。商売は知らない人相手にやりたいし、それができないと商売では生きて行けないとおもう。しかしぼくの現状は買ってくれる人全員と友達になれるくらいにしか商売が広がっていない。という程度の規模なのだがそのことを棚に上げて仕事と友達価格について、考えた。しまやん(嫁)の仕事をみていて考えさせられたと言うのが正直なところかもしれない。
安いからという理由で依頼がきても断る。でも友だちから依頼があったばあい、ぼくの作品として発表できるならという条件付きで安く、あるいは無料でやってみることはできる。しかし依頼主が作品内容に変更を要求するのならそれは作品として発表できないので友達価格ではできない。しまやんはそういうことを友達の依頼主に説明するのが苦手のように見える。しかもそのように変更されたものをしまやんの作品として依頼主が発表するのは本当にやめてほしい。0.01mmも変更してはいけない。実際にあったひどいことなんだけど、印刷物がたりなくなって書体を持っていない依頼主がそれを持ってるものに変更して増刷したこともあった。おれの絵が友人のデザイナーに勝手に使用されたこともあった。これは何回かあったけど友人がやったというのがショックだった。つくる人なのにつくることに対する敬意がなさすぎる。そういう人はそういうものをつくるんだとおもう。
ということでつまり嫁に対する愛です。
