ガラスのコップが4時半。
孤独なぼくのおならはみんなのための海を歩いて、無調の民主主義とおならの缶と、書かれた扉が4時33分に意味を作って渡す女。
行くべき場所、知るべき知識、完全ななにか。
と、犬が当たるための棒。
2014年8月17日日曜日
きょうのポエム
2014年7月27日日曜日
デジタルカメラ
こないだ雨の日に写真を撮ってあそぼうと思ったら、一番お気に入りのデジカメの電源が入らなくて悲しい。防水でこの用途のデジカメがないとつまらないので、しかたなしに修理見積もりをしたら買った時より高かった。なので現行の新しいモデルにしようと調べたがぼくが求める条件をみたしていなかった。デジカメの仕様を決める時にぼくのことは無視されているんだ。だってちょうどいいのがまったくない。このカメラも妥協。値段が高いカメラでも条件がこれよりいいのはない。防水で、ストラップをカメラの両肩に付けれるってだけでもうニコン以外に選択肢がない。ニコンは今防水カメラを三つ作っているけど白はこのシリーズにしかない。そして単三電池で動くのはもうつくられてないこのモデルしかない。雨の日に白いカメラを両吊りで首から下げて散歩したい人がかなり少ないってことなのだろうか。防水のコンパクトカメラは良い。レンズが出たり入ったりしないので電源をいれっぱなしにしといてすぐ撮れる。電池がすぐなくなるけどエネループは専用のバッテリーよりかなり安いから用意しやすい。実際海外の旅先でエネループを充電器ごと紛失したときも単三電池はどこでも売ってるので問題なかった。電池ゴミが出るのが少し気になった。ストラップ付ける穴が片方だけだと首から下げた時に美しくない、という判断をしたのはニコンだけだったということだろうか。これは子供用だけど、どうせウェブで使うだけだから画素数なんて余るくらいだ。そしてなぜかよくブレるのも良い。CCDだから暗いに弱いけどそのおかげでブレてザラついた感じになる。防水のためのレンズ前のガラスのせいでピントが甘いのも許せる。日中の日向順光ならそこそこカリッとする。気分を撮るのにすごくちょうどいい。ただストロボをオフに設定しても電源を入れなおすとオンになってしまうので、工夫が必要。さつえいモードを「いろをかえてとる」にして色選択画面で色を選択しないで決定ボタンを押すとストロボオフになって、撮影モードは電源切っても変わらないのでストロボオフのままになる。ってそんなに気に入ってたカメラが壊れてしまって悲しかったのだけど、叩いたらなおった。よかった。
そういえば20年くらい前は歳をとるとレンズの好みが長くなるって言われていたけど、ぼくは短くなってる。当時は35mmが常用だったけど今は29.5mm相当のコンパクトデジカメがちょっと狭いなって感じる。27ミリくらいがちょうどいいのかな。そういえばズームついててもほとんど広角端しか使わないからあんまり広すぎるのも使いずらい。27~42mmとかのコンデジあればいいのに。
2014年7月6日日曜日
月替わり俺美術館

高円寺にある紙系雑貨店のハチマクラというお店で、1点だけのぼくの作品展示を毎月入れ替えています。
今月は NANJO HOUSE の南條さんを描いた絵です。
NANJO HOUSE は、なんちゃんとじゅりさんの遊び場にしようということで、池尻にある南條さんちの1階に設けられたスペースです。ぼくは今年の正月に展示をさせてもらったのでギャラリーと呼んでしまうけど、なんちゃん曰く遊び場だそうです。だからなんちゃんと仲良くならないと使わせてもらえません。ぼくはこの場所をすごく気に入ってしまったので夏休みに壁のペンキ塗りをなんちゃんと平山くんとやる約束をしました。
ハチマクラ - http://hachimakura.com
NANJO HOUSE - http://nanjohouse.net
2014年7月5日土曜日
先月の月替わり俺美術館

先月の月替わり俺美術館は「本の男」という絵でした。
本の男というのは荻原魚雷さんのことなんだけど、魚雷さんは古本文化の重要人物で、古本にまつわるエッセイ的な文章を書いたりしている。ダメな感じで生きて行くこととちょっとづつコツコツ積み重ねて行く事を書いてるように読める。エッセイみたいだけど演出されてたり作り話しだったり、本当の話しだったりが並列されてる。それに気がついた時おもしろかった。ぼくはそういう文章の集合を読んだ事がなかった。もしかしたらこういうジャンルがあるのかもしれないけど、小説しか読まないぼくにはすごく新鮮な出会いだった。
魚雷さんとはペリカン時代というよく行くバーでよく遭遇する。それである夜魚雷さんは酔っぱらって、どんとかかってきなさい!って言ったので、じゃあ描かせてよ、ということになったのでした。おもしろい。それで日を改めてふたりでベロベロに酔っぱらって描いたのでした。
2014年6月21日土曜日
ギターのエレキ化
アコースティックギターのエレキ化に成功しました。
27mmの圧電素子(ピエゾ素子)二枚を並列にしてモノラルのパッシブ出力です。ブリッジ裏1弦と6弦の外側に一枚ずつ張りました。
自作のプリアンプ(無駄にディスクリート!)からmacのgaragebandで録音できる。
自作する時間があるなら、その時間バイトして買った方が早いし安い。それでもぼくは自分で納得したいというめんどくさい性格ですね。
プリアンプに位相反転回路を組み込めばスタジオでも使えそうなきがする。
ナイロン弦を張るためにブリッジピンの下で工夫しました。鉄弦はどうも苦手だ。
それで、こんどコクテイルでやる三人の展示のための作品にこのことが強く影響しています。おたのしみに。
tt-40 tiny boy ピエゾピックアップ自作
メモ:ギター内部配線はカナレのGS-3
エンドピンジャックは使っていない。それには厚みの制限があるけど計れないから。
理屈どおりにうまくいった。
2014年6月15日日曜日
アート、ジャズ、哲学。
質問して答えを聞く気がない人。質問されただけで怒る人。質問に対する返事が答えになっていない人。質問された時返答せずに、返答に対する意見を最初に述べる人。質問をされて、考える時間が長過ぎて質問されたことを忘れる人。質問と答え。たのしい会話と事務的な会話の違い。など。
ぼくにとってはあたりまえのことが、ほかのだれかにとっては当然まちがっていることがあってもちろんその逆もある。何かをつくっている人がよく陥っているのを見かけるけど語の定義に終止していることに。つくられたものが人間の社会でなんていう名前のカテゴリーに分類されようとも、つくった人にもつくられたものにもなんの問題もないと思うのだが、アートはこうでなければいけないとか、そういうこと言う人むかしはもっとたくさんいたなあと思う。そういえば哲学っていう語に疑問を感じるようになってきたんだけど、ぼくにとって哲学は分析哲学のことだった。けれどその語の使い方をみているとまったく分析していないことの方が多く見える。ぼくがやりたいのは分析哲学という名前のカテゴリーに分類されるようだ。知らなかった。もしぼくがやりたいことに先立って哲学という語があらわすものをやりたいのであれば、分析哲学だけでは哲学に足りないので幅をもっと広げるべきだろうけれど、もちろんぼくは哲学という語の定義に興味がないのでやらない。社会に対していままで哲学と言って来たところを分析哲学と言い換えるだけだ。アートという語も同じようなことになってそうだ。ぼくがつくるものがアートじゃなくてもだれも何も困らない。なんと呼んでもいい。哲学の名のもとに踊る人もいるわけだし、それをやっている人にその語を使う事にいっさいの躊躇がないのならば(ないところまでもっていけているのであれば)なにをなんと呼んでもいいようなきがしてきた。スティーブライヒやリゲティもクラシックという名前のところに分類される。けれど経済に絡むとそうも言ってられなそうだ。
2014年6月11日水曜日
もの忘れならぬ順番忘れ
最近、自覚症状がでてきたのだがもしかして前からこうだったのだろうか。そんな気もする。そうぼくは出来事の順番を覚える事が苦手です。苦手というか過去の出来事の順番がまったくわからなくなります。ただそういうことがあったという事は覚えているけどどっちが先に起きたのかとか、本当に不思議なくらいわからなくなります。この症状で他者にどのような迷惑がかかるかまだ想像つきませんがもしぼくのそういった記憶の順番に関することでご迷惑をおかけしてしまうかもしれないので先にあやまっておきます。ごめんなさい。よし。これで順番を忘れられる。