2007年1月30日火曜日

きょうのぼくは唯一の確信事を書く

いろんな事に対して自分の意見を持ちたいです。ですから、テレビ等の大衆向けメディアは一切信用しません。ぼくが確信しているのは、ただひとつです。「我思う故に無ではない」。ということです。それ以上の事は、ぼくには不確定です。でも日常の会話とかこのブログでは、それ以上のほとんどの事を確定的かつ断定的に会話します。その方が人間関係の摩擦が少なく社会に馴染みやすいです。唯一の確信以外の事でも実生活において確信できない事を無視するか、あるいは嘘をついた方が身のためですね。たぶん世のニートと言われる人達は、そういう事を無視あるいは嘘つけなくて社会に馴染めないのかもしれないなと思ったことがあります。いいかげんになれればいいのにな。どうでもいいんだよそんなことは。たぶん。

唯一の確信事についてもう少し詳しく書きます。
「我思う故に我在り」は、なんだかダジャレみたいです。たとえば「我思わないだけども我在り」が成り立ちますよ。いや、それはどうか分からないな。
「無」をあらためてめて定義します。無とは、なんにも無いことです。時間も空間も無いです。よく、中途半端な「ほぼ無」と「無」をごっちゃに考えてる人がいます。そういう人は、「無」がゆらぐとか言います。「ゆらぎ」がキーワードになっているようです。でも「無」はゆらげないんですよ。なんにもないから。って説明をすると彼らは、「無の存在自体がゆらぐんです」とか言いやがる。無が存在するとはいかに!ああ、言葉遊びに付き合ってただけだったのかとその時分かりました。もう少し言葉遊びに付き合うならば「無は無い」で締めくくれそうです。

!!!完全に話しがそれました。悲しいくらい低脳です私。そう、つまり「無」とは、なんにも無いことという意味で使わせて下さい今の所は。
そうすると結論。「無」ならば我が思う事は出来ないのですが我は思うことが出来るので無ではないです。
その先に「在る」とか「我」とかを定義していってややこしい理論を作れそうではありますが、ぼくは馬鹿画伯なのでこの最初の階段しか昇れませんでした。いつか、もう一段くらい昇れるのかもしれないです。あるいは途中の階段はすっ飛ばして、経験できるこの世の中で絵を描いて生きてゆけたらこの上ないです。
(。人。)おっぱい