ぼくは物としての絵をつくりたい。
どこまでを自分でやるかという関心がある。画面をつくるところまでで、そのあとは他人に任せるのがイラストレイターや油絵の人。彼らは額を作らないし物としての絵を気にしない。油絵の画家はマチエールとか言って厚みを気にしているふりをするけれどそれも画面の上での事で、物としての絵にはまだなっていない。
彫刻家はその定義から既に物として作品を作っている。画家は気がつきにくいのか知っててやらないのか。展示する時に会場の壁や屋根等はなかなか作れないけれど、作家ならばそれ以外は作るほうがいい。発表する作家以外の作り手が関わらない方がいい。額や表具を作るのも画面を作った本人がやるべきだ。それが物としての作品をつくるということだ。中におさめる画面だけをつくるならイラストレイターでしかない。美術家という語がヒントになる。イラストレイターは美術家ではない。美術作品に他人が作った額や表具が含まれるはずがない。原稿としての絵は厚みを必要としない。つまり物である必要がない。つまりデータでいい。
ぼくが物としての絵をつくりたい、と言うのはそういうことだ。
コンセプト優先の現代美術ならあえて他者が作ったものを作品に入れることもあり得るだろう。しかしぼくの好みはそういうところにはない。コンセプト優先系アートよりも、物としての魅力あるものが好きだ。
音楽を含むアートのいいところは客観的な批評ができないところだ。好みの問題しかないから。
2014年3月6日木曜日
つくることと発表すること 好みの問題