他人を変えたいと思うことはよろしくないと思っています。
他人を変えたいと思う事というのは、他人に何かをして欲しいと思う事を含んでいます。また、自分はこうしたのだから相手もこうするべきだという考え方も、他人を変えたいのと同じ事です。たとえばこんな考え方の事です「自分はいっしょうけんめいやっているのだから評価されて当然だ」 というような考え方は嫌いです。なぜならば、それでは自分勝手だと思うから。不満のある人の言い分はだいたいそんな感じだな。
契約を交わせばいいのに。
「あなたがいっしょうけんめいやったら評価します」という文に署名をもらえばいい。その際に言葉の定義が必要です。あなた、いっしょうけんめいやる、評価する、という言葉を厳密に定義しましょう。
契約は、なぜ守られるのでしょうか。違反するとなんらかの罰が与えられるからです。罰というのは、当事者の不利益のことです。たとえば自己嫌悪におちいるとか、そういうことです。
違反による罰がまったく無い場合、その契約は無効も同然です。無効ですと断言できるかもしれません。
という考え方がいつのまにか身に付いています。
でもたまに、ぼくも他人を変えたいと思ってしまい苦しいです。
きっと苦しみたくないから、こういう考え方をするのでしょうね。
2007年3月8日木曜日
傷つかない考え方と欲望