ぼくを構成する分子あるいは原子その他は、どこかぼく以外のところにあったものが、ぼくになった。
たとえば、この10年間で、ぼくを構成する分子は何パーセントくらい入れ替わっているのだろう。10年前のぼくを構成する分子は、今どのくらい残っているのですか?
もしかしてゼロかな。なんだかそんな気がします。だとしたら、当時のぼくと今のぼくは、まったく違う物質でできてる。
物理的に別物なのに、同じぼくだ。
Great bigin という映画では、生命とは形だと言っていた。
ある特定の分子の集まりをぼくというのではなくて、分子のある特定の形をぼくというのだろうか。違う分子に入れ替わっても、形が同じならそれはぼくだ、ということかな。きっとそうだ。つまりぼくはどちらかというと唯物論者だ。
こういうことは、子供のころによく考えていたことですが、言葉を知らなくて人に伝えることは出来なかったです。それでもずーっと考えている人が言葉や映像にして説明し、思い出させてくれるのです。生きてゆくのに必要は無いけどね。
この文は、前に書いたですけれど、ゴッシーを描いた日の日記はこれにしようと思いました。
2007年2月26日月曜日
生命は形か